経済的な観点、政治的な観点からオリンピックを開催したとしても、全体への責任を持たなければならないと渋沢栄一は考えたでしょう。重いメッセージです。ただ、その本質は極めてシンプルに表現しています。

 我々は「できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるように行動するのが、吾人の義務である」(「渋沢栄一 訓言集」)と栄一は示しました。渋沢栄一の行動指針は人類愛でした。

 また、「国交の親和は、単に政府当局者の責任に委すべきものではない。国民一般に親善の感情をもってこれに当らなければならない」(渋沢栄一 訓言集)と、一人ひとりの想いと行動が大事であると指摘しています。

 来日した外国人選手らがSNSで投稿している内容から、日本人の多くのボランティアは、まさにこの精神で彼らに接していた様子がうかがえます。同じ日本人として誇らしく、素晴らしいと思います。

 また、やはりオリンピックには様々なドラマがあります。競技中の本編はもちろんのこと、競技場外の逸話も少なくありません。例えば、メッセージがちぐはぐで一般的には評価が高いと言えなかった開会式でも、シリアの紛争下で生き別れになっていた兄弟が、一人はシリア代表選手として、もう一人は難民選手団として再会できたという感動的なシーンがありました。

 また、長年の政治的な事情で、国際大会では「チャイニーズタイペイ」という名でしか出場できない台湾が、「チ」ではなく、「タ」の国々に挟まれて出場した計らいは素晴らしいです。一見、敢えてアルファベット順で入場させないことは「ガラパゴス化」なのかという腑に落ちなかった気持ちが晴れました。

 東京オリンピックが成功か、あるいは失敗として歴史に残るか、は現在ではわかりません。ただ、栄一は「論語と算盤」において「成敗と運命」という章で指摘しています。「ゆえに成敗に関する是非善悪を論ずるよりも先ず誠実に努力すれば公平無私なる天は必ずその人に幸いし運命を開拓するように仕向けてくれるのである」と。

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「青天を衝け!」の精神は?