野村監督の退団後も、若松勉監督の下でダイエーを戦力外となったサウスポーの高木晃次や、オリックスからトレードで獲得したスラッガーの高橋智を“再生”。4年ぶりのリーグ優勝、そして日本一に上りつめた2001年は、それぞれオリックス、巨人を戦力外となった前田浩継、入来智が先発ローテーションの一角として貢献するなど、代替わりをしても「再生工場」はヤクルトの代名詞として残った。

 これらの例を見てもわかるとおり、「再生工場」の選手には2つのタイプがある。1つはひとかどの実績を残しながらも、既にピークは過ぎたと見られていた選手。もう1つは持てる力を出せないまま、くすぶっていた選手である。

 その後の時代でいえば、西武でバリバリのレギュラーとして活躍しながら、戦力外通告を受けて若松監督時代のヤクルトに移籍し、ベストナインとカムバック賞に輝いた鈴木健は前者。ドラフト1位で入団した中日では一軍出場はほとんどなく、トライアウト経由で高田繁監督時代のヤクルトに移籍して、のちにレギュラーにまでなった森岡良介(現ヤクルトコーチ)は後者ということになるだろう。

 近年の「ヤクルト再生工場」では近藤一樹(現独立リーグ香川)、大松尚逸(現ヤクルト二軍コーチ)などが前者に当たるが、この流れを汲むのが昨年限りでソフトバンクを戦力外となった内川だ。横浜(現在のDeNA)時代の2008年、ソフトバンク時代の2011年と、プロ野球史上でも2人目の両リーグ首位打者に輝きながら、昨年は一軍の舞台に立つことなく退団。ヤクルトと契約した今シーズンは、開幕から五番バッターを任された。

 3月末にPCR検査で陽性判定を受けた選手の濃厚接触者として特定され、2週間の自宅待機を余儀なくされると、復帰後に上半身のコンディション不良により離脱。それでも交流戦から再び一軍に合流し、高津監督も「今は代打としてですけど、非常に期待しています。(彼の)名前があるだけで相手にかかるプレッシャーも違うでしょうし、いい場面で1本を期待しています」と、熱視線を送る。

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「1回死んだ身。そこを拾ってもらってるんで」