プロ野球という勝負の世界、監督になる人物は誰もが熱いものを持っている。しかし選手時代は感情を出していた人でさえ、監督になると抑えるケースも目立つ。しかし星野に関しては当てはまらず、現役時代同様、「怒る、殴る、蹴る」だった。しかし感情的なだけでなく、同時に冷静さも併せ持っていた。

「現役時代は湯呑みを投げつけるのが『ルーティーン』。打たれてベンチへ戻って来ると、湯呑みを投げてガシャーンと割る。その音とか感覚で、打たれたストレスを発散しているようだった。ある時、割れてしまうから、球場のおばちゃんがプラスチックのものに変えた。打たれて投げつけると、割れないでカランカランとベンチ内を転がった。その音を聞いて、また星野さんが怒った怒った。監督になって、湯呑み投げから扇風機を殴ったり、椅子を蹴ったりするようになった。そういうところで発散しているのは変わらない」

「審判がファンサービスのため、マイクを着けてジャッジする時があった。当然、抗議や乱闘の時も審判は着けているから声を拾ってしまう。星野さんはそういう部分では冷静で、乱闘や抗議になると、まず審判のマイクを外して投げ捨てる。興奮しているはずなのに、審判のマイクを外す冷静さを持っている。だから代名詞だった抗議や乱闘も、冷静にパフォーマンスを加えていた時もあったんじゃないかな」

 星野といえば86年オフ、落合博満(当時ロッテ)と牛島和彦、平沼定晴、桑田茂、上川誠二の『1対4の大トレード』を敢行したことで知られている。大物の主力獲得に積極的に動くというイメージもあるが、状況によってチームの力になれる“脇役”も大事にしていた。『乱闘要員』と言われた、岩本好広(87年開幕前に阪急から移籍)、小松崎善久(87年に26試合先発出場)、仁村薫(87年オフ、巨人から移籍)などを重宝したことからも分かる。

「3人ともチームに貢献することを熟知している。実際のプレーとともに、乱闘など、自分がやることを分かっていた。そういう選手が好き。例えば、岩ちゃん(岩本)は強い時代の阪急の選手という感じ。小松崎は一、二軍を行き来していたが、状況によって起用された。仁村もライバル巨人を戦力外になったが、意地を見せた。『使える、必要だ』と感じたから、近くに置いておいた」

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今の中日には“闘う指揮官”が必要?