星野は“事前の口約束”があったと本人が語ったように、巨人への入団を確信していた。それもあって、68年オフのドラフトで巨人が島野修(武相高)を指名した際、『島と星の間違いではないか』と叫んだのは有名な話だ。同年1位で中日入団後は、フラれた相手を後悔させるかのように必死に戦った。プロ14年間で通算500試合登板、146勝121敗34セーブ、防御率3.60。巨人相手には35勝31敗という成績を残した。

「現役時代、巨人戦での気迫はすごかった。ナゴヤではなかったけど、後楽園では相手ベンチからヤジが聞こえることがあった。マウンド上から怒鳴り返すのは当たり前。チェンジの時、相手ベンチ方向へボールを投げたり、投げるフリをすることも多々あった。今では考えられないけど、それくらいケンカ腰で戦っていた」

「やはり王さんに対してライバル心があったようだった。長嶋さんは少し、年齢的にも上だからね。僕も晩年、直接対戦をグラウンド上で見ていたけど、王さんには気合が入っていた。気迫を出してケンカ腰で向かって行った。王さんも冷静に対応して打ち返す。独特の空気感を感じた、すごい対戦」

 現役を引退し、スポーツキャスターなどを務めた後、86年オフに中日の監督に就任。91年まで5年間務めた第一次政権では、2年目の88年にリーグ優勝。96年から01年まで6年間の第二次政権では、99年にリーグ優勝を果たしたが日本一は成し得なかった。中日監督時代は厳しさを貫いた。特に「鬼になります」と宣言した第一次政権では、感情を出し、鉄拳制裁も辞さない指導法、戦い方で自ら先頭にも立った。

「監督でも巨人に対する感情を出した。他のどの監督さんも『巨人には負けられない』というのは感じたが、冷静さは保っていた。ほとんど表には出さないようにしていた。でも星野さんはベンチで怒るからね。その辺を叩き、割り、壊す。そう言うのが当たり前だからベンチはピリッとしている。テレビでよく抜かれていたけど、『怒る、殴る、蹴る』はガチでやっていた。普段からそういう感じだったけど、巨人戦は特にすごかった」

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意外に冷静な部分も…