身長がぐんぐん伸び、2年秋にエースの座を掴んだ石井大。球速は130キロを超え「秋田県内では少しは知られる存在になった」(白根氏)ものの、3年夏の甲子園県予選は2回戦でシード校に敗れた。

 5年制の高専は、高校野球は3年の夏で引退となるが、4、5年時も高専だけの大会がある。石井大も練習は続け、体重増加にも成功したことで球速は140キロをマークするまでに成長した。ただ、建築関係の仕事に就くことを目指しており、周りと同じように就職活動をし、誰もが知る大手企業から内定をもらった。

 だが、突然、安定の道を捨て進路を変えた。5年生に上がるころ「野球でご飯を食べたいんです」と相談してきた石井大の姿を、白根氏は今でも覚えている。プロ入りした成田の姿に刺激を受け、決意を固めたという。

 自ら情報を集め、独立リーグ・四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスが6月にトライアウトを行うことを知った。いざ受験すると、かつて巨人、横浜で活躍した駒田徳広監督(当時)から、いきなり内々定をもらった。

 白根氏は懐かしむ。

「合格したのかと、本当に驚きました。駒田監督に評価されて本人は大きな自信をつけたようでしたが、それでも僕は、高専の部活動で野球をやった選手が本当に上の世界で通用するのかと、不安の方が大きかったんです」

 大手企業の内定を辞退して独立リーグ入りした石井大は、白根氏の心配をよそに1年目から活躍。2年目には最多奪三振のタイトルを獲得するなど力を伸ばし、道を切り開いた。

 高専出身の選手で日本プロ野球機構(NPB)の球団からドラフト指名を受けたのは09年の鬼屋敷正人氏(巨人2位=引退)以来、2人目となる。ただ、鬼屋敷氏は3年時に指名を受けたため高専を「特別修了」した。5年かけて卒業した選手で、ドラフト指名を受けたのは石井大が史上初だ。

 白根氏は、

「探求心がとても強い選手。例えば変化球の投げ方でも、私がひとつひとつ教えるのではなく、自分で動画を見て研究していた。石井がここまで成長できたのは、探求心の強さがあったからだと思います」

 と教え子を評価し、こうエールを送る。

「内定していた企業に就職していれば、安定した人生が待っていたはず。プロになりたいという夢の方がそれを上回って、本当にドラフト指名されてしまった。すごいことですよね。僕は根っからの阪神ファンなのですが、石井が阪神のユニフォームを着ていることに、いまだに実感がわきません(笑)。シーズンに入ってからが本番ですが、負けん気の強さを生かして頑張ってほしいと思います」

 異色の経歴をたどった右腕。日本野球の歴史に、その名を刻むことができるか。(AERAdot.編集部)