渡辺直美の米国進出の背中を押した「恩人」の言葉 中西正男 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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渡辺直美の米国進出の背中を押した「恩人」の言葉 中西正男

連載「上方芸能ここだけの話」

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アメリカに拠点を移す渡辺直美(撮影:中西正男)

アメリカに拠点を移す渡辺直美(撮影:中西正男)

 渡辺直美さんが4月から拠点をアメリカに移すことを発表しました。

 現地のエージェント会社2社と契約し、現在のレギュラーは3月末で全て卒業。これまでもニューヨークに自宅を購入するなど、日本との二重生活を続けてきましたが、春からは海外に本格進出となります。

【写真】渡辺直美が語る「恩人」はこの芸人

 2010年10月。約1週間、渡辺さんと中国・上海で時間を共にしました。

 上海万博の会場で中国版吉本新喜劇が上演される。その一環として、渡辺さんが現地でパフォーマンスをする。その取材で上海に同行していました。

 当時から売れっ子ではありましたが、現在のようなカリスマ的な人気を誇るまでではなく、イチ若手として、どこに行くにも大きな体を小さくして、遠慮がちに存在していた姿が目に焼き付いています。

 渡辺さんと同じく、現地の舞台に立つために上海を訪れていた漫才コンビ「中田カウス・ボタン」さん。そして、当時、デイリースポーツの記者だった筆者と別の新聞社の記者。現地でアテンドしてくれる吉本興業の社員さん。ほぼ毎日、食事はそのメンバーでとる流れになっていました。

 カウスさんやボタンさんから「たくさん、食べや」と言われ、吸い込むようにチャーハンを食べていたサマも思いだされますが、その時の可愛げ満載の顔とは打って変わった、中国のパフォーマーを研究する射抜くような視線。これも忘れられません。

 そして、異国の地のステージに立っても、1ミリも動じない肝の力。そして、ほぼ初見のはずの観客を一気に沸かせる芸の力。それも強烈な印象として残っています。

 さらに、2015年10月。

 拙連載で「私の恩人」をテーマに、渡辺さんにインタビューをしました。そこで恩人として挙げていたのが「オリエンタルラジオ」の中田敦彦さんでした。

 華のあるルックスとダンスで早くから注目されていた渡辺さんですが、大喜利など「自分には苦手なものが多すぎる」というのがコンプレックスでもありました。


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