13失点完投の“力投”を披露した園川一美(OP写真通信社)
13失点完投の“力投”を披露した園川一美(OP写真通信社)

 投手の分業制が確立した現在のプロ野球では考えられない話だが、先発完投が当たり前だった時代は、四球を山ほど与えたり、二桁以上の大量失点を許したにもかかわらず、最後まで投げ切った投手がいた。

 平成以降でも、近鉄時代の野茂英雄が、1994年7月1日の西武戦で、毎回の16与四球という大乱調にもかかわらず、3失点の8対3でまさかの完投勝利を挙げている。

 1試合16与四球は、戦前の1942年に小松原博喜(黒鷲)が、4月22日の巨人戦で記録した14与四球を上回るプロ野球最多記録だった(野茂自身も92年7月10日の西武戦で5回途中降板の14与四球を記録)。

 くしくも、その小松原も押し出し四球ゼロ、被安打4の4失点で完投したが、味方打線が2安打完封を喫したため、勝ち投手になることはできなかった。野茂同様、与えた四球の割りに失点が少なめなのが面白い。

 これに対し、46年のセネタース・一言多十(ひとことたじゅう)は、4月29日の中部日本戦で13与四死球を記録したが、中部日本打線の4併殺の拙攻にも助けられ、野手のエラーによる1失点のみの6対1で完投勝利。48年後に野茂に更新されるまで史上最多与四死球勝利投手のプロ野球記録だった。

 同年は開幕投手を務めるなど、6勝を挙げた一言は、外野手としても88試合に出場して規定打席に達し、打率2割3分2厘、22打点、18盗塁を記録している。

 前出の西武戦では、16与四球とともに191球投げたことでも話題になった野茂だが、まだ上には上がいる。9回完投での史上最多投球数は、83年の木田勇(日本ハム)の209球だ。

 9月21日の西武戦、木田は立ち上がりからピリッとせず、1、2回のいずれも得点圏に走者を背負いながら、何とか無失点で抑えた。だが、0対0の3回にスティーブの二塁打で1点を失うと、石毛宏典とスティーブに本塁打を浴びるなど、7回まで毎回失点を記録し、計6点を失う。

 ふつうなら、とっくに交代させられていてもおかしくないのだが、大沢啓二監督は「あいつはプロ野球を甘く見ている。一球入魂の大切さを思い知ってほしい」と心を鬼にして続投を命じた。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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