木田は入団1年目の80年に22勝を挙げ、新人王や最多勝など投手部門のタイトルを総なめにしたが、2年目以降、10勝、6勝と年々成績がダウンし、4年目の同年も4勝止まり。復活を信じていた大沢親分の我慢も限界に達し、「木田の精神面を鍛え直すために、あえて続投させた」というしだい。

 だが、そんな“親心”も通じず、木田は8回にも4長短打で3失点。9回には、一発長打タイプではない蓬莱昭彦にもシーズン1号を献上し、終わってみれば10失点。結局、史上最多投球数(それまでの記録は、80年の西武・松沼雅之の206球)の新記録をつくっただけで、その後も1年目の輝きを取り戻すことができなかった。

 ちなみに延長イニングも含む史上最多投球数は、大洋軍時代の野口二郎が42年5月24日の名古屋軍戦で記録した344球だ。

 延長28回を一人で投げ抜いての金字塔で、野口と最後まで投げ合った名古屋軍・西沢道夫の311球も歴代2位。試合は4対4で引き分けたが、28回という気が遠くなるようなイニング数もさることながら、2人とも1イニング平均10球ちょっとという“省エネ投球”にも目を見張らされる。

 お次は、1試合最多失点の完投投手を紹介する。

 巨人時代の川崎徳次は、49年4月26日の大映戦で、被本塁打8、失点13と滅多打ちにされながらも完投。しかも、自ら3本塁打を放ち、9打点を挙げる活躍で勝利投手(15対13)になった。1試合で8本塁打を被弾したのは、現在もプロ野球記録で、当時プロ7年目の川崎がこの日に3本固め打ちするまで1本も本塁打を打っていなかったという事実も面白い。

 13失点完投の投手は、もう一人存在する。87年のロッテ・園川一美である。

 9月2日の南海戦、プロ2年目の園川は初回、簡単に2死を取ったが、3番・デビッドに四球、4番・門田博光に左前安打を許したあと、味方の連続エラーで2点を先制される。そして、なおも2死一、二塁で、香川伸行に右中間へ3ランを浴びてしまう。

 怒り心頭の有藤通世監督は「あれだけエラーしたら、誰が投げても同じ」と続投させた。

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最近でも“えげつない完投”が…