結生:「本を作ろう」って話になった時に、世の中にどんな本があるか探っていたら、「毒親」っていうキーワードがけっこう目に付いたんです。最初、毒親っていう言葉を知らなかったんですけど、調べていくと、一番に感じたのは負のエネルギーでした。親から虐待を受けた人の中には、そういう捉え方をすることで自分を保っている人はいるんだろうな、っていう気持ちはあるし、それが悪いことではないと思うんですけど、自分としては、そこに重きを置きたくありませんでした。もちろん、自分の中でも親に対する復讐心みたいなものがなかったわけではないし、「許せない」っていう気持ちももちろんありました。でも、「子」対「親」みたいな、親を敵視するような構図では描きたくなかった。

 何かを責め立てる気持ちって、仲間を集めやすいって思います。でも、もっと緩やかな流れのほうが大切かなっていうのがあって、責め立てるような仲間ではなくて、自分が大事にしたいって思えるものを共有できる仲間と繋がっていきたいっていう気持ちが大きかったです。あやちゃんとの関係性は、あやちゃんは子育てや働き方の悩みを相談してくれて、私は性との向き合い方を相談していて、「お互い大変やな」「お互いいろいろあるよな」って、自然に考えられるものでした。こういう関係性が社会にもっと増えていったらいいのになと思ってこの本を作ったので、そのメッセージを発信していけたらうれしいです。

■「あたり前」はそれぞれ違っても「変わらないもの」もあるはず

小坂:結生さんは、育った環境の「特異性」と、人の心としての「普遍性」を持ち合わせていて、それを言葉にできる人なんですよね。結生さんの二面性をきちんと描いていくことが重要で、それこそが、異世界のように見える問題について読者が「自分ごと」として考える鍵になるのではないかと思っていました。

 結生さんを取材した連載が新聞に載ったあと、いくつかの大学から授業に呼んでもらって話をしたんですけど、記事を読んだ学生たちの感想が印象的だったんですよ。「ドラマみたいだけど本当にあるんだ」とか「私はこういう家庭で育たなくて幸せだ」とか言う学生が少なくなくて。

 みんな真剣に私の話に耳を傾けて、問題を考えてくれていたし、不真面目なわけではなくて正直な感想なんだろうなと思ったけれど、壮絶な現実を丁寧に描いて問題提起すればするほど多くの人にとって「遠い」出来事になってしまう現実を突き付けられた気がしました。本当にこれでいいのかな、というモヤモヤがあって、どういう発信をすれば、「ドラマのような壮絶な体験をしている少年少女」と「自分たち」の生きている社会が地続きであることに気づけるのか、ずっと考えていました。その答えが、結生さんの二面性を描くことでした。

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