結生:施設にいた時から、「社会に何かを発信したい」「社会と繋がりたい」っていう気持ちがあったんですけど、そういうふうに思い始めたのは、学校の友達との会話とかがきっかけなのかなって思います。私が施設にいることはみんな知ってて、興味をもってくれる人もいるし、施設自体知らない人もいる。「施設ってどういうところなの?」って聞かれた時は、素直に「親がいない子とか、そういう環境がない子たちが一緒に暮らしている」って答えていました。

 友達には、親と一緒に生活していないというところが羨ましく映ったり、「虐待されている子」っていうのは、「自分とは違う世界に住んでいる人」っていう風に見えたり、そういう感覚をもつ子が多かったんですよね。その感覚をもつのは普通なのかなって思っていたけど、でも自分が施設で生活しているのは、自分の中では当たり前のこと。虐待されて生活してきたというのも、社会から見たら普通ではないかもしれないけれど、自分にとっては「当たり前」でした。

 いろんな感覚が「当たり前」で、私のなかの当たり前があって、逆に友達にも施設ではない親元で暮らしているという、私とは違う当たり前があって。でもそれぞれ当たり前や環境が違っても、「変わらないもの」もあるはず。もちろん施設ではない生活を羨ましく思ったりもするし、自分にないものが良く見えたりもするけど、「施設で育った」とか「施設で育ってない」とか、そういう見方の「その先」というか、それを超えた関係性を築いていきたいと思った。どういうものかっていうと、あやちゃんとの関係性です。この関係性が、自分の大事にしたいところなんだな、という気づきがありました。

■誰か一人とでも、心地いい関係性があるだけで人生は生きやすくなる

小坂:育った環境は全然違うけれど、結生さんの言葉は私の心にグサグサと刺さってきます。「自分らしく生きる」とか「正解を求める教育でいいのか」とか、「他人の期待に応えなきゃ」「ノーと言えない」「私は悪くなくて誰かのせいにしたい」とか……。「人に頼りたくても頼れない」「誰かに認められたい」なんて言われると、「いや、私もおんなじやけど」って思う。働き方の取材をずっとやってきて、就活生や早期離職の若者、子育てとの両立に悩むお母さんらの話をたくさん聞きましたが、結生さんが抱えているしんどさと共通するものもたくさんありました。結生さんの心のあり方をひもとくと、そこには、多くの人が考えたり悩んだりしていることが詰まっているんですよね。

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