しかし99年、ついに夫の実家は呉服店を廃業。義両親は60代後半になっていた。その翌年、義父が認知症だとわかる。

 義姉と上の義妹は嫁いでいたため、実家に一人残っていた一番下の義妹が義母とともに義父を介護していた。しかし1年と経たないうちに「もうこれ以上私には介護はできない」と、義妹は清水さんの夫に泣きついてきた。

 相談を受けた清水さんの夫は、両親を自分たちの家の近所へ住まわせることを決断。義両親が引っ越してくると、清水さんは介護のために毎日のように義両親の家へ通い始める。

 掃除や洗濯などの家事だけでなく、病院への送迎や食事の支度、トイレ、入浴の介助など、献身的に義父を介護する清水さんを見て、義母はようやく「長い間、あなたをうちの嫁と認めないなんて言ってごめんなさい。あなたには本当に感謝しています」と口にした。

 義姉妹は相変わらず清水さんに邪険な態度をとってきたが、義母は義姉妹がいないところでは、清水さんに心を許すようになっていた。

■義両親の死と夫のがん

 認知症発覚から約8年後、義父は肺炎により病院で息を引き取る。その後、義母にも認知症が発覚し、約5年後に清水さんが看取った。

 義両親の介護が終わり、ホッとしたのもつかの間、2014年には夫に胃がんがみつかる。ステージ2だった。すぐに手術をしてがんを取り除き、その後は抗がん剤治療に入った。

 手術などの医療費は高額だ。治療は長期に及び、先進医療を受けるための費用は膨らむ一方。

 ところが、清水さんの夫は生命保険や入院保険のみならず、がん保険にも入っていなかった。また、前述のとおり近所の高齢者や貧困家庭の子どもの衣食住を世話してきたため、貯金もほとんどない。

 がんで思うように働けない夫の分まで、清水さんは仕事をかけ持ちして医療費を捻出したが、清水さんはすでに60歳。体力的には下り坂だ。

 夫は清水さんの身体を心配し、自宅を売ってはどうかと提案。清水さんはびっくりして初めは反対したが、最終的には承諾せざるを得なかった。

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無断で家に侵入する義姉妹…