イスラエルの地元新聞ではユダヤ人のマスクの着け方をやゆしていた(ニシム・オトマズキン提供)
イスラエルの地元新聞ではユダヤ人のマスクの着け方をやゆしていた(ニシム・オトマズキン提供)
コロナ禍でも聖地「嘆きの壁」で祈るユダヤ教徒(エルサレム市内、ニシム・オトマズキン提供)
コロナ禍でも聖地「嘆きの壁」で祈るユダヤ教徒(エルサレム市内、ニシム・オトマズキン提供)

 新型コロナウイルスの感染者数が減らないイスラエルは9月、再び3週間のロックダウン(都市封鎖)に突入しました。これは春に1カ月以上にわたるロックダウンが終了してから2度目です。今回はもちろん「第2波」の影響です。イスラエルでは9月中旬において、毎日約5000人の新たな感染者が出ており、累計では15万人に上ります。イスラエルの人口は約900万人ですよ。日本は人口1億2千万人で累計8万人です。いかにイスラエルが多いかわかるでしょう。

【写真】コロナ禍でも聖地「嘆きの壁」で祈るユダヤ教徒

 イスラエル人は3月からの最初のロックダウンの後、コロナをうまくかわすことに成功したと考えました。ネタニヤフ首相は「世界が助言を求める」と自慢したほどです。5月に入ると毎日の感染者も30人以下で総数6000人でした。しかしその後、再び患者数が上昇し、第2波で状況は悪化していきました。

 コロナはその後なぜ拡大に転じて、イスラエルは抑え込みに失敗したのでしょうか?

 それはイスラエル人には「不従順の文化」があり、権威に対しての信頼感が低いことが理由だと私は思います。

 イスラエル人はこうしなければならないと指示されるのを嫌います。むしろ従属的になるぐらいなら、ルールを曲げていきます。コロナにおけるデモはそのいい事例です。政府はマスクの着用と、「密」を避けるように指示したにもかかわらず、人々はマスクをしないで街に出たり、着けていても間違った着け方をしたりしていました。結婚式や大規模な祈りの集会場でも同じようなことが起こっていました。警察は出席者に「密」にならないよう人数を規制しようとしていたけれど、人々は言うことを聞かず、警察とのいたちごっこになっていました。

 イスラエルでは政治家でさえ、必ずしもルールに従うとは限りません。多くの市長たちが禁止されている結婚式に参加している写真が毎日のように新聞に掲載され、イスラエルのリブリン大統領とネタニヤフ首相たちも第1波の最初のロックダウンの間、禁止されていたにもかかわらず家族を公邸に招いていたのです。

 この「不従順の文化」には長い歴史があります。儒教的な哲学である権威と社会的規範への特別な敬意とは対照的です。ユダヤ人の思考は、不賛同を擁護し、質問する人たちを勇気づけます。ユダヤ教の律法とその解説書である「タルムード」には、聖書の言葉についての「不同意と疑問」、それに対する議論の連続の中に「真の知恵」が現れると教えています。タルムードの中でもっとも多く使われる言葉は、「NO」です。人々から賛同を得られなかったときは別の説明が求められるのです。

 イスラエル人は「違い」を考えることを奨励します。他の人のやり方に従属的になり同じことを繰り返すことを否定します。私が大学で講義をするとき、事前に準備をしたものを講義することはほとんど不可能です。講義中に学生から多くの質問が出てくるためです。講義中、学生たちは学んでいることに対して別の視点から議論し合い、私も自らの意見を説明していくことを勧めています。私はいつも新学期の冒頭で、学生たちに対し、「違い」を考えること、そして私が教えることについて検証することを求めます。

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Nissim Otmazgin

Nissim Otmazgin

〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授。トルーマン研究所所長を経て、同大学人文学部長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年ヘブライ大学にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に贈られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。2012年、エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

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