東西の人気球団の中心選手だった2人は、意図しない形で球団を離れることとなった。

 内海は18年オフ、FA宣言した炭谷銀仁朗の人的補償として西武に移籍。希望した背番号は炭谷が着用していた「27」。「1つでも上に行くという思いを込めて。「26」より先に行くという気持ちで」とコメントした。

「長年背負ってきた26を準備していたので驚いた。人的補償のプロテクトから外されたのはショックだったはず。でもそれに対する愚痴は聞いたことがない。本当にナイスガイだと思った」(西武球団関係者)

 鳥谷は19年シーズン中に球団との話し合いを重ね、同年限りで阪神を退団した。年が明けても去就が決まらなかったが、3月に入りロッテと契約を結んだ。

「すぐに開幕を迎えられるほど身体が出来上がっていた。進路が決まらなくてモチベーションを保つのが大変だったはず。その中でもやるべきことをやっていたのがわかる。ストイックな姿勢は、若手には素晴らしい教科書になるはず」(ロッテ球団関係者)

 人間性は誰もが認めるところだが、実際に戦力としては今後も含めどうだろうか……。

 長年に渡って2人を取材してきたスポーツ新聞記者は客観的に評価する。

「(内海は)巨人時代の18年7月31日のDeNA戦、自身4年ぶりの完封勝利を挙げた。だが、当時から身体の至る所に勤続疲労のような症状もみられており、西武1年目の故障にもつながった」

「このまま終わってしまうのか……」という懸念もあったが、8月22日のオリックス戦で708日ぶりの1軍登板を果たすと、次の先発登板となった9月2日のロッテ戦では、5回無失点の好投で、743日ぶりの勝利を手にした。今後もグラウンド内外での活躍が期待される。

「鳥谷は昨年、プロ入り最低の74試合出場で本塁打は初めて0本。打率.207、打点4、出塁率.298とすべて自己最低を記録した。阪神が戦力外通告したのは納得できる状態だった。しっかり練習しているが、問題は年齢的な視力などの衰え。近年は守備時において送球を捕球し損なうシーンなどもあった。ロッテでは首位争いに加わるチームのバックアップとして貴重な存在になっている。要所で結果を残したり、ヘッドスライディングを見せるなど、チームへの影響は大きい。しかし状況を考慮すると、スタメン出場争いに加わるのは難しい」

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戦力としてだけではない“役割”