互いに名門を離れ、移籍先で存在感を示す内海哲也(左)と鳥谷敬(右) (c)朝日新聞社
互いに名門を離れ、移籍先で存在感を示す内海哲也(左)と鳥谷敬(右) (c)朝日新聞社

「こんなことまで求められているのか?」

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 西武・内海哲也とロッテ・鳥谷敬。

 多くの実績を残すとともに人格者としても知られ、伝統球団の巨人阪神でチームリーダーだった。2人のベテランは長い間グラウンドで存在感を示してきたが、球場の外でももちろん影響力は大きい。

 その2人が長年プレーした球団を離れ、新たに入団したチームで数字に見えない“大きな役割”を期待されているのは当然かもしれない。

 内海は03年自由獲得枠で社会人・東京ガスから巨人入団、在籍15年間で133勝(101敗)を挙げ、2度のリーグ3連覇(うち2度の日本一)に貢献した。

「試合ではもちろんだが、グラウンド内外のまとめ役として欠かせない存在だった」

 巨人球団関係者は内海の存在感の大きさを振り返る。

「テツほどできた人間はいない。調子が悪くても周囲に気を配り明るく振舞う。新入団選手が加入すれば、声をかけて食事会などを開きチームに溶け込みやすくする。投手と野手の垣根をなくすようにも気を使っていた。テツがいなかったら、勝てなかった時代にチームは空中分解していた」

 巨人退団が決定した際、涙したチームメイトは多かった。

 一方、鳥谷は03年自由獲得枠で早稲田大から阪神に入団。在籍16年間で2169試合連続出場、13シーズン連続全試合出場(いずれも歴代2位)、2000本安打、1000四球など多くの記録を達成した。

「黙々と背中で引っ張る、職人気質の選手だった」

 試合に出て結果を残し続けるのが当たり前の景色だった、と阪神球団関係者は言う。

「結果を出しても調子に乗らない。試合が終われば次の日に向けて切り替える。誰が言ったわけでもないのに若い時期からそれができていた。プロの世界で長く活躍するには才能や技術だけでなく準備が必要。それを継続できるのが凄い。ケガや体調不良でも試合に出続けていたのをみんなが知っている」

 記録達成のためのスタメンなどとも揶揄された時もあったが、普段の鳥谷を見てきた者に異論はなかった。

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“不本意な形”でチームを離れた2人