昔はしょうもない嘘をいろいろとついていたのですが、嘘をやめてから生きやすくなりました。総合的なコストを考えると、嘘をつくメリットはありません。

 必要以上に自分をよく見せるようとしようと嘘をつくのも馬鹿馬鹿しい。自分と相手を同じ地平に置く平民主義を実行したほうが効率が良いと思います。

 自分だけでなく、周囲の嘘も減らすようにもしています。怒らないっていうのも、嘘を減らすひとつの方法ですね。「これを言うと怒られるかも」と思わせてしまうと、失敗をごまかし嘘をついちゃう人が増えてしまいます。

 お世辞も嘘の一環であるので、言いません。

 いくら頑張ったところで結果は結果。褒めにくいところを無理に評価する意味はありません。

 努力すれば褒めてもらえると考える人は、あれもこれもがんばってもっと褒められようと仕事を抱えこみがちです。相手をムダに褒めることで、余計なプレッシャーを与えているとも言えるかもしれせん。

 ただし素晴しい仕事をしてもらった時には素直に感謝しつつ、事実だけを評価するようにしています。相手がしてくれたことと、そのおかげで得られた成果を客観的に述べ、それに対して感謝の言葉を口にするんです。

 もっと賛辞がほしいと物足りなく思う人もいるかもしれませんが、この褒め方は職場では特に有効だと思っています。

 失敗を重ねてしまうということは、その仕事が当人にとっては苦手で、一方素晴しい成果を出せるのは得意な分野といえます。だからこそ、職場から怒りを減らし、失敗は素直に伝えてもらい、こちらでサポートする。素晴しい仕事は評価し、さらに技術を磨いてもらう。こうすれば個々人の特殊能力が発揮され、多様性のある集団が完成します。

 誰とでも平等に接して、怒らず嘘をつかない。そして褒めるべきところは素直に褒める。これは明治人が作り上げた簡易生活の考え方ですが、現在理想とされている多様性のあるオープンでフラットな組織の作り方のようにも見えます。
簡易生活が社会に広がれば、人類全体の働き方が効率化してしまうかもしません。

 結局のところ、生活を簡易にする目的は、すべての事柄をなだらかにして、必要最低限のがんばりで、最大限のパフォーマンスを発揮することにあると思うんです。