平民主義をなんのために実行するのか。仕事の効率を上げ、生活を簡易にするためです。究極の目標は、生活を向上させて「貴族」になること。明治時代の小説家である上司小剣(かみつかさ・しょうけん)は、「総べての人間を皆貴族にする――貴族と卑族との別を無くする――のが、人間生活の向上ではないか」(『プロレタリア文芸総評』)と言いました。全員日々の生活をよくして、全員が一緒に上を目指すのが「平民主義」の理想像です。

「怒る」ということは、その平民主義から逸脱していると思うのです。なぜなら、相手をコントロールしようとする行為だからです。「有利に立ち立ちたい」とか「コントロールしたい」といった優越感情があるからこそ「怒り」が湧くのです。そこに平等性はありません。

「いや、相手にわかってほしいから怒るんだ」という反論もあるかもしれません。でも、だったら、相手と話し合えばいいじゃないですか。わざわざ相手を萎縮させて、パフォーマンスを落とすことはナンセンスです。

 コンビニのレジで会計が遅いと怒ったところで、店員さんのレジ打ちの速度が上るわけがありません。むしろ動揺させてしまい、会計の時間は余計にかかっているはずです。それなら店員さんのパフォーマンスを上げるため、大人しく待っていたほうが効率が良い。

 日々、怒号が響く場所では、怒られたくないという気持から、一時的に無理をして能力が向上したように見えることもあるかもしれません。でも個人や組織の長期的な成長は望めません。

 相手や周囲、あるいは自分自身に対して悪影響を与える「怒り」は、相手を支配下において、効率を低下させるという意味で悪趣味だと思います。

■嘘やお世辞をやめることで生活が簡易になる

「怒らない」ということは、周りの能力を開花させるための「簡易生活」の知恵のひとつ。そのほかにも僕が実践している、生活を簡易にしてパフォーマンスを最大化する方法をいくつか紹介します。

 まずは嘘をつかないこと。なぜなら嘘は煩雑だからです。ひとつついた嘘の整合性をとるために嘘を重ねるなんてこともありがちで、そのために労力を裂かれます。逆に、いつも正直に生きていれば、後ろめたいことがないので、生き方がシンプルになります。

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嘘をやめてから生きやすく…