クロマティが「メジャーでも通用する」と賛辞を贈った大洋の遠藤一彦 (c)朝日新聞社
クロマティが「メジャーでも通用する」と賛辞を贈った大洋の遠藤一彦 (c)朝日新聞社

 現役投手の中で、NPB通算200勝に最も近い投手は、石川雅規(ヤクルト)の171勝。今年で40歳という年齢を考えると、達成できるかどうかは微妙と言わざるを得ない。

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 今季19年目の生え抜き左腕は、昨季までの18年間のうち、半分の9年までがBクラス、最下位5度というチーム成績の結果、勝ち星で割りを食った部分もある。机上の空論だが、もし、毎年優勝争いを演じる強いチームにいて、勝ち星がシーズンあたり2勝ずつプラスされていれば、すでに200勝を超えている計算になる。

 チームが強ければ、200勝できていたんじゃないか? 過去にもそんな“幻の200勝投手”が少なからず存在した。

 代表的な例が、1980年代に大洋(現DeNA)のエースとして2度の最多勝に輝いた遠藤一彦である。

 2年目の79年に先発、抑えの両刀使いで12勝8セーブを挙げた遠藤は、82年から主に先発として起用されるようになる。140キロ台後半の速球と2種類のフォークを武器に83年に18勝、84年に17勝を挙げ、2年連続最多勝のタイトルを獲得した。

 安打を打った直後、ベース上で「ここが違うぜ!」と指で自分の頭をつつくクロマティ(巨人)の挑発ポーズに対抗し、フォークで三振に打ち取った直後、同じポーズでやり返した痛快エピソードでも有名だ。そのクロマティは、遠藤に「メジャーでも通用する」と賛辞を贈っている。

 だが、当時の大洋は大味な野球から脱しきれず、79年に2位、83年に3位になったのを除いて、万年Bクラスと低迷。遠藤自身も82年と84年に17敗を記録するなど、3度にわたってリーグ最多敗戦という不名誉な記録をつくっている。

 そんな悲運のエースに、野球人生最大の悲劇が襲ったのが、87年だった。

 この年、6年連続二桁の14勝で小松辰雄(中日)と肩を並べ、3年ぶり3度目の最多勝も目前だった遠藤は、10月3日の巨人戦(後楽園)に先発。4回まで被安打わずか1に抑えた。

 ところが、1対0とリードした5回の攻撃中、一塁走者の遠藤は、高木豊の左翼線安打で二塁を回った直後、不運にも右足アキレス腱不全断裂を起こし、全治3カ月の重傷。15勝目と最多勝をフイにしたばかりでなく、選手生命まで縮めてしまった。

 リハビリから復帰後、90年に抑えとして6勝21セーブを挙げ、カムバック賞を受賞したが、往年の球威は戻らず、92年に37歳で引退。もし強いチームにいれば、そして、けがさえなければ、通算勝利数も134を大きく上回っていたことだろう。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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ヤクルトが弱い時期に孤軍奮闘した投手といえば?