「新しいこころみとして、一本の長い物語をはじめと終わりから描き始めるという冒険をしてみたかったのです。(中略)交互に描いていきながら、最後には未来と過去の結ぶ点、つまり現在を描くことで終わるのです」

 この言葉通り、邪馬台国を舞台にした黎明編に続いて描かれた未来編では、人類の終焉と新しい人類誕生までの何億年ものドラマを描いた。ラストシーンでは未来編が黎明編に繋がることも暗示され、未来と過去が現在で結ばれた瞬間、物語は巨大な輪のような存在になるはずだった。巨大な輪の中で生まれては死んでいく幾多の人間ドラマからは、手塚独自の歴史観、輪廻観を見てとることができる。

 とは言え、「火の鳥」は難解な作品ではない。友情あり、裏切りあり、恋あり、アクションあり、大スペクタクルありの娯楽作品だ。登場人物は誰もが個性的だし、恋人たちの物語は切ない。

 エピソードは、長編もあれば、中編や短編もあり、シリアスなものばかりでなく、ギャグタッチものもある。宇宙空間での密室殺人を描くミステリもある。読者も無理に発表順に読む必要はない。気になったエピソードからランダムに読めばいいのだ。

 少年少女の読者にはエンタテインメントとして楽しむことができ、少し成長して読むと生き方を考える指針になり、歳を取って読み返すと自分自身の生きてきた道と重ね合わせて読むこともできる。これも魅力だ。

 さらには手塚が全面的に関わって製作した劇場アニメ「火の鳥2772」のようなものまである。「火の鳥」に触れることで読み手はマンガ家であり、アニメーターとしても功績を残した手塚治虫のすべてを味わうことが出来るわけだ。

 手塚マンガを知らないという世代には、「火の鳥」からはじめて釈迦の生涯を描いた「ブッダ」や天才外科医を主人公にした「ブラック・ジャック」といったほかの手塚作品に進むきっかけにしてもいいかもしれない。

 現在、日本は新型コロナウイルスによる感染症の蔓延という100年に一度の災厄に見舞われている。「火の鳥」をはじめ手塚マンガの中にはさまざまな困難に立ち向かっていく人々の真摯な姿が描かれている。多くの人々は志半ばに倒れようとも決して後悔しない。それは、未来に志を託せると信じていたからだ。それは手塚治虫の信念だったのではないか。だからこそ私たちは今、手塚治虫が残した名作に心揺さぶられるのかもしれない。(漫画評論家・中野晴行)