木野は86年にジャニーズ事務所に入所。田原俊彦(59)のバックダンサーとして活躍しながら、88年に、萩本欽一が司会のテレビ番組「欽きらリン530!!」(日本テレビ系)で結成された「CHA-CHA」(92年に活動停止)で、タレントの勝俣州和らとともに活動した。木野は当時をこう振り返る。

「生放送とか歌番組がたくさんあった時代だったから、あの時は本当に忙しかった。嵐に比べれば全然たいしたことはないけど(笑)。『CHA-CHA』のコンサートツアーとトシちゃん(田原)の10周年ツアーが重なって、年間で120本くらいステージに立っていたんだ。その他にもテレビやラジオに出演したり、握手会とかもあった。その時はさすがに『休みたい』と思ったよね。3日に1回は飛行機に乗っていたから、当時『マイレージサービス』があったら、たくさん溜まっていたんじゃないかな(笑)」

 そんな木野にも“決断のとき”が訪れる。「CHA-CHA」でのバラエティー色の強い仕事をこなしていくなかで、「パフォーマーとして力をつけたい」という思いが強くなっていく。90年にジャニーズ事務所を退所し、単身アメリカでダンスを極める道へ進んだ。故・ジャニー喜多川氏からは反対されたが、迷いはなかった。

「嵐と比較するのもあれなんだけど(笑)。でも、もし当時『あと1年だけCHA-CHAを続けて』と言われて、ファンがそれを望んだとしても『ごめんなさい』としか言えなかったと思う。僕が違う未来を見ている時点で、もう僕はそれまでの『CHA-CHAの木野正人』ではなくなっている。そんな僕に商品価値はないと思うんだ」

 そして木野は93年に帰国。現在は自身の地元・静岡県藤枝市を中心にライブパフォーマンスを続けている。田原俊彦の振付師でもある。50歳を超えた今も、体脂肪率は驚異の5パーセントだ。体調管理のためにベジタリアンを貫き、お酒も一切飲まないのだという。

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自粛を迫られる木野さん…