構えてスイングを始めたときに、背番号6が渡部から見えるか知りたかったのである。投げるだけでも手いっぱいの難物打者からの要求である。渡部は言った。

「投げるのに必死なのに、背番号見とったら投げりゃせんがや」

 そう言いながらも、目を凝らすと「6」がはっきりと見えた。2球目も同じだった。

「オチさん、全部見えるわ」

 落合は、そこでフォームを変えた。再び打席に戻ったとき、「6」は見えなくなった。次に渡部が投げた球を落合は軽々とスタンドインさせた。

 それまでの落合の構えは、肩が内側に入りすぎていたので、完璧に捉えたと感じても、インパクトがずれていたのだ。背番号は、肩の入れ具合を判断する基準だった。これは打者に正対する打撃投手にしかわからないチェックポイントだった。打撃コーチはケージの後ろから見るので、打撃投手ほど子細に観察できない。

 毎年オフには、落合から感謝の気持ちとして松坂屋の高額の商品券が渡部に贈られた。

 やがて渡部も40代になった。毎日、肘や肩のしびれに悩まされ、投げる前に座薬を入れて、落合の相手を務めた。しかし彼はその事実をチームに隠した。わかれば解雇されるからだ。落合が巨人へ移籍することが決まったとき、彼は渡部に「巨人に来て自分に投げてほしい」と誘った。年俸もこれだけ用意すると条件面も掛け合ってくれた。だが渡部は断った。

「行きたかったけど、家族もいるから二重生活になる。俺は中日で最後まで投げたかった」

 結局、落合に投げた年数は6年になった。渡部は、以後パウエルなど主力打者に投げ続けた。

■イチローと勝負したい

 94年の夏である。東京ドームでの巨人戦のとき、渡部はマネジャーから巨人のベンチに行ってほしいと頼まれた。怪訝に思いながら行くと、巨人で落合の打撃投手を務める岡部憲章がいた。山なりのボールの投げ方を教えてほしいという。落合から渡部の存在を聞かされていたのだろう。渡部は投げ方は教えられるが、それより気持ちの問題だと答えた。

「たとえ落合さんでも合わせようと思わず、自分のペースで投げるんだよ」

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打撃投手として最後の一球にイチローは…