岡部は吹っ切れたようにうなずくと、以後落合に対して自信をもって投げ続けた。

 だが渡部は95年限りで解雇される。もう肘の痛みも激しく、テープをきつく巻かなければ投げることはできなかった。このとき45歳になっていた。渡部の最後の舞台はオフの日本対韓国の親善試合だった。彼はイチローの打撃練習に投げたが、イチローと勝負したい気持ちが抑えられなくなった。投手としての本来の性が出てしまったのである。もう退団するので肩が壊れても構わない。

 最後の一球はイチローのベルト付近に全力でストレートを投げた。イチローは球の速さに驚いたが、鋭く振り抜くとライトスタンドに打球を運んだ。イチローは「あそこまで強く放ったらあかんでしょ」と言ったが、「まだいけますよ」と励ましてもくれた。打撃投手として忘れられない思い出になった。

 現在、渡部は愛知県東海市近郊で「野球塾」を開講し、子供たちに野球を教えている。

「大事なことはプライドを持って投げることですね。それは腹にぐっと強い気持ちを持つこと。周りの言うことも聞かんといかんけど、周りに惑わされると自分がおかしくなる。これはサラリーマンでも商売人でも同じだと思います」
 
 今、新型コロナの感染拡大が止まらない。影響を受けて苦境に喘ぐのは市井の人々である。もっとそういう人々の働きを大事にする国であってほしい。スター選手を陰で支える打撃投手の秘めたる誇りを追いながら、そんなことも考えさせられた。

●澤宮 優(さわみや・ゆう)2004年、『巨人軍最強の捕手』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。最新作に『バッティングピッチャー 背番号三桁のエースたち』(集英社文庫)。ほかの著書に『スッポンの河さん』(同)、『イップス』(KADOKAWA)など。