そこには、個々の患者に合わせて処方を変えることができるという東洋医学の長所もある。しかし、一方で誰が診ても同じように診断を下せる標準的な基準を作ることも大切だといわれるようになってきており、現在もその取り組みが進められている。

■モデルマウスを用いて香蘇散の有効性を検証

「北里大学東洋医学総合研究所の漢方外来では、患者さんの気になる症状に対して、生薬のさじ加減をしながら、患者さん一人ひとりに合った漢方薬が処方されています。そのなかで、軽いうつ症状に対しては、香蘇散(こうそさん)が有効であるケースが認められています。ところが、効果はあるものの、なぜ効果があるのかという点で明確な根拠が証明されていませんでした。そこで、まずは動物を使った基礎研究の観点から、香蘇散の有効性の科学的根拠を証明しようという研究に着手しました」(伊藤さん)

 伊藤さんは、モデルマウスを用いて、「うつに対する漢方薬の有効性の検証」と「漢方薬の未病制御」というテーマを中心に基礎研究を行っている。

 ここでは研究の詳細については説明を省くが、結論としては、香蘇散が社会的ストレスにより誘発されたうつ様行動や脳内炎症反応を抑制できること、うつ様行動の再発の防止に香蘇散が有効であること、香蘇散と既存の抗うつ薬の併用では効果の増強が期待できることなどがわかった。

 また、老化促進モデルマウスを用いた研究では、老化に伴ってあらわれるうつ様行動や概日リズム異常に対して、症状が何もあらわれていない時期である未病期から香蘇散を投与しておけば、ある程度効果が期待できる可能性が示された。その作用には、体内時計への働きかけが一部関与する可能性を示すデータが得られているが、詳細は現在解析中である。

「うつ症状に対する香蘇散の役割としては、既存の抗うつ薬には劣る面はあるものの、抗うつ薬とは違うアプローチから、うつの治療や予防に貢献できると考えられます。これはあくまでもモデルマウスを使った基礎研究ですが、人での効果を調べる臨床試験も現在進められており、少しずつエビデンスが蓄積されつつあります。このような取り組みをとおして、臨床へのフィードバックが少しでもできればと考えています。香蘇散はおいしく飲みやすい部類の漢方薬です。未病の段階から飲み続ければ、身も心も健康でいられるかもしれません」

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老化の分野で漢方薬の役割は重要に