ところが、皮肉なことに、翌98年、台湾(高屏雷公)に復帰すると、首位打者、打点王、ゴールデングラブ賞を獲得。34歳になった01年にも韓国・起亜で3割1分、26本塁打、107打点を記録しており、日本とは水が合わなかったとしか言いようがない。


 
 この“御三家”以外にも、ルイスと同じ97年、メジャー通算打率3割超の実績を引っ提げて阪神入りしながら、7試合に出場しただけで、“神のお告げ”を理由に電撃退団したグリーンウェル、メジャーで100本塁打以上を記録し鳴り物入りで中日に入団しながら、打率1割8分、1本塁打とショボい結果に終わったディンゴ(00年)、メジャーで5年連続20本塁打以上を記録し、一度もマイナー落ちしたことがないのが自慢だったのに、ロッテでは打率1割台と低迷し、野球人生初の2軍落ちを味わったインカリビア(95年)、メジャー通算162本塁打の実績も、日本の投手の変化球に対応できず、熊本地震に恐怖を感じて、4月に早々と退団帰国した楽天・ゴームズ(16年)等々、「触れ込みとはまったく違った助っ人」は少なからず存在する。(文・久保田龍雄)

●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2019」(野球文明叢書)。

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久保田龍雄

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久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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