なお、秋元も阿久も作詞家としては企画型に分類できる。一方、芸術型の代表が松本隆だ。「バレンタイン・キッス」と同じ週には、松本の世界を受け継ごうとしたシングルが発売された。坂本龍一の曲に松田聖子が詞をつけた「くちびるNetwork」(岡田有希子)だ。

 オリコンチャートでは後者が1位となり、前者は2位に甘んじた。ただ、レコード店での光景を見る限り「バレンタイン・キッス」のほうが明らかに売れていた印象で、これは当時も今も謎である。

 また、のちの時代への残り方でも、さらには日本の文化にもたらした変化を考えても、前者が一枚上だろう。たとえば、松任谷由実がスキーやサーフィン、クリスマスの楽しみ方を広めたように、この曲はバレンタインというイベントを一気にメジャー化した。いわば、企画が芸術に勝利したのである。

 とはいえ、秋元にすればこれも数あるヒットのひとつにすぎない。では、国生にとってはどうだろう。

■長渕剛との不倫を経て

 彼女は高校時代に、ミス・セブンティーンコンテストの全国大会に出場。ここでレコード会社に声をかけられたものの、デビューの確約はなく、自慢の快足を活かしたレコード会社対抗運動会くらいしか活躍できなかった。卒業後は就職も内定していたが、おニャン子のメンバーに選ばれたことで運命が一変する。

「バレンタイン・キッス」の勢いでその半年後には、カネボウのCMソングを自らも出演して歌うまでになった。翌年には映画「いとしのエリー」に主演するなど、女優としても活躍。ただ、90年代に入ると、別のイメージが加わり、失速してしまう。

 長渕剛との不倫だ。91年のドラマ「しゃぼん玉」で出会い、恋に発展した。それが終わったのは、95年に長渕が大麻取締法違反で逮捕されたときである。彼女自身にもクスリ疑惑が浮上したが、

「長渕さんの奥さんと対面し、関係を清算することを約束しました」「尿検査を受けて無実です」

 と、会見で語った。

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「ちょっとやらかしすぎでしょ」