ちなみに、浜崎が演じたのは国会議員を父に持ち、バレエをたしなむ令嬢で、家庭教師によって妊娠させられる役。河相我聞扮する若者グループのひとりのもとに走り、廃校で出産する。つまり、彼女は17歳にして、役の上では母親になっていたのだ。

■7歳からキッズモデルとして活動

 これに限らず、女優としての彼女はとかく男に襲われるような仕事が多かった。14歳でのデビュードラマで長瀬と出会った作品でもある「ツインズ教師」しかり、映画「渚のシンドバッド」しかり。また、女優と並行して、グラビアアイドルもやっており、それなりにセクシーな写真集も出していた。

 その前には地元・福岡で、7歳からキッズモデルとして活動。デパートや銀行のポスターに登場するなどした。中学に入ると不良っぽくなり、体育祭で“ウンコ座り”をしてメンチを切るといういかにもな写真をのちに発掘されたりもしている。

 アイドル女優だった時期の雑誌インタビューでは、

「堂々と『これは私の中学時代ですよ』って言えますけどね。今までの自分を恥じてないから、過去を隠す人間にはなりたくないって思ってるんです」

 と振り返り、ひとつの葛藤として胸を張っていたものだ。また、98年にはラジオ「オールナイトニッポン」でこんな発言をしている。

「お父さんがいないっていうこととかは、特別なことだと思ってなくて、すごく普通だと受け止めてきてて…」

 幼い頃に両親が離婚し、父が蒸発。シングルマザーに育てられた彼女はけっして裕福とはいえない環境のなかで葛藤してきた。芸能界での成功を夢見て、ときにヨゴレ役もこなしながら、上を目指していたのである。

■18歳で単身渡米しレッスン

 そんな浜崎を大ブレイクに導いたのが『M』にも描かれた松浦との出会いだ。絶頂期に向かいつつあった99年に、彼女はテレビでこんな発言をした。

「そのプロデューサーが『お前は歌える、詞も書けるよ』って。初めて、自分に何かができるって言ってくれた人」(「ターニングポイント」)

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日本レコード大賞を3連覇