「上司とも話し合ったのですが、大変申し訳ないのですが、本日は面会いただくことはできません。手紙よりも面会のほうがハードルが高くなります。まずは手紙で実績を積んでいただけますでしょうか」

 こちらが恐縮するほどの、丁重な口調であった。いわばダメ元で足を運んだので、時間をかけて検討してくれたことに感謝の念さえ湧いた。それを伝え、その場を辞した。

 手術は6月24日に行われ、多少のアレルギー反応はあったものの回復は順調と聞く。

 担当した医師は、死刑囚を治療することは初めてで戸惑っていた、と風間の手紙にあった。しだいに理解してくれたとのことだが、自分は再審請求をしているのであり、死を待っている身ではない、と風間は説いたのだろう。だが死刑囚を治療するのは、健康でなければ死刑が執行できないという原則に基づいてのことという側面もある。

 手紙のやり取りを5往復した。面会のハードルを越えられるのではないかと、8月9日、再び東日本成人矯正医療センターに向かった。建物の中に通されると、刑務官は言った。

「本人はここにはいません。どこにいるかも教えられません。申し訳ありません」

 その日のうちに親族から、風間が東京拘置所に戻されたことが知らされた。後日手紙を書いたが、風間には届かなかったようだ。手紙は戻ってもこなかった。没収されたのだ。

■遺体を“消す” シリアルキラーによる連続殺人

 1993年、谷で起きた埼玉愛犬家連続殺人事件では4人の犠牲者が出た。そのうちの3人に関して、風間は殺人と死体損壊・遺棄で死刑の判決を言い渡された。同じ法廷で死刑の宣告をされたのは、風間の元夫の関根元である。

「ボディーを透明にする」

 それが関根元が語った犯行様態だ。殺人を行うと、遺体の肉はサイコロステーキほどに細かく解体して川に流す。骨は粉になるまで、廃油を注いだドラム缶で焼く。殺人において最も雄弁な証拠である死体を消滅させてしまうのだ。

 関根と風間が共同経営していたのが、犬の繁殖・販売を行うアフリカケンネルであった。日本でアラスカン・マラミュートを広めた男として、関根は実力者と認められていた。ペットの専門誌にインタビューが載ったり、テレビで作家の猪瀬直樹と対談したりしていた。

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被害者は全員が関係者