車の貸し借りのための移動だと思っていたというのが、風間の主張だ。別れても交際のあった東京に住む元妻と中岡は車のキーを共有していて、会わずに車の受け渡しができることを風間は知っていた。

 山上殺害を知って関根をゆすった、暴力団の高田組組長代行の高城(仮名)と、その付き人の小宮山(仮名)が殺害されたのは、7月21日。風間はこの日、関根から「高城んちに行ってるから、10時ごろ迎えに来てくれ」と言われ、クレフを運転して行った。そして、その後に起きた殺人に居合わせてしまう。その後、片品村まで行き遺体解体の場にもいた。

 殺人を行おうとする者が、共謀していない者を現場に呼ぶだろうか、という疑問が湧く。出所後に中岡が出した手記には、演歌を口ずさみながら風間が、遺体を牛刀で切り刻む様子が描かれている。その歌は手記では「河内おとこ節」。だが中岡の供述調書では、「大阪情話」だ。歌手はどちらも中村美律子だが、曲調はまるで違う。

 電話で話す機会が訪れ、その疑問をぶつけると、中岡は答えた。

「博子が演歌を歌ってたなんて、ありゃあ嘘だからね。そういうふうに書かなきゃ、おもしろくないでしょ。ノンフィクションみたいにはなってるけど、あれは小説だから」

■風間博子はなぜ、死体損壊・遺棄を手伝ったのか

 風間が遺体を切り刻んでいたというのも、事実ではないという。

 中岡の家の風呂場で遺体の解体は行われた。関根に呼びつけられ「体をずらすから足を持て」などと命じられ、遺体に手を添えてしまったことを風間は認めている。遺体の積まれた車を運転したことも含めて、死体遺棄損壊・遺棄罪は犯したことになるが、共謀はしておらず殺人は犯していないというのだ。

 この事件の9年前の1984年にも、関根の周囲に3人の行方不明者がいた。この時にすでに「ボディーを透明にする」手法が確立されていたことを、共犯者が詳細に供述している。埼玉県警は大がかりな捜査を行ったが、物証は見つからず立件には至らなかった。関根は、我々が日頃報道で目にするようなありきたりの殺人者とは異なる、犯行を完全にコントロールできるシリアルキラー(連続殺人者)なのだと思わせる。

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関根と風間は離婚していた