悲しいと涙が出るのは「たまたま」だった? (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

悲しいと涙が出るのは「たまたま」だった?

連載「子どもの素朴な疑問に学者が本気で答えます」

大人は思いつかないような、子どもの素朴な疑問や不思議。子どもの頃から、納得できる答えが得られないままになっていること。そんな質問に、テレビやラジオなどでも活躍する明治大学教授の石川幹人(まさと)さんがお答えします。ジャンルを問わず、答えが見つからない質問をお寄せください!(https://publications.asahi.com/kodomo_gimon/)。採用された方には、本連載にて石川幹人さんが、どこまでもまじめに、おこたえします(撮影/写真部・掛祥葉子)

大人は思いつかないような、子どもの素朴な疑問や不思議。子どもの頃から、納得できる答えが得られないままになっていること。そんな質問に、テレビやラジオなどでも活躍する明治大学教授の石川幹人(まさと)さんがお答えします。ジャンルを問わず、答えが見つからない質問をお寄せください!(https://publications.asahi.com/kodomo_gimon/)。採用された方には、本連載にて石川幹人さんが、どこまでもまじめに、おこたえします(撮影/写真部・掛祥葉子)

※写真はイメージです(Gettyimages)

※写真はイメージです(Gettyimages)

 つまり、次のように、涙を介して悲しみが伝達されています。

「誰かが悲しみを感じて涙を流す」→「その涙を私が見る」→(ミラーニューロン)→「私が悲しくなる」→「その人の悲しみが理解できる」

 では、なぜ他人の悲しみがわかる必要があったのでしょうか。それは、人類が狩猟採集時代に、助け合って暮らしていたからです。困って悲しみにくれる人がいたら、周りの人々が助ける、助けた人がつぎに困ったらまた周りの人が助けるという関係が、100人くらいの集団内で、ずっとくり返されていたのです。この協力行動が、アフリカの過酷な草原で生き続けることを可能にしました。だから私たちにも、悲しみを伝えて周りの人に助けを求める行動が身についているのです。

 涙が悲しみの表明にふさわしい理由がもうひとつあります。涙を意図的に流すことが比較的難しいことです。それにより、困ったふりをして周りの人の援助をひき出す「ウソ泣き」をある程度防止できます。

 こうして、特定の人との協力を長く続ける、家族や村のような小集団においては、現代でも「涙を流す」行為は助け合いの重要な手がかりとなっているのです。かりに、俳優のような「ウソ泣き名人」がいても、その小集団ではすぐにボロが出るでしょう。

 ところが、現代の文明社会における集団は必ずしも、助け合いの協力集団ばかりではありません。人口が増えて人々が流動化し、固定した人々だけの密な集団は減っているのです。そのため、困って助けを求めても、周りの人が助けてくれないということは、めずらしくありません。そればかりか、悲しみの表明は「弱さのアピール」にもなってしまいます。それにつけこんで、利用しようとする人々が寄ってくることもあります。「悲しくても涙を見せるな」という、身を守るための教えさえあります。

 以上のように現代では、周囲の状況をよくみたうえで涙を見せる必要性が生じています。しかし、実際のところ、それは簡単ではありません。また、涙を我慢しつづけるとストレスがたまるので、ときには、ひとりで映画を見て泣くなどの工夫も必要なのです。


トップにもどる dot.オリジナル記事一覧

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい