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「いつ僕を1軍で使うの?」 プロ野球新人が放った“超ビッグマウス発言”

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久保田龍雄dot.
オリックス時代の川口知哉 (C)朝日新聞社

オリックス時代の川口知哉 (C)朝日新聞社

 今年のドラフトで中日に1位指名された高校ナンバーワンスラッガー・石川昂弥(東邦)が「新人王を獲って、1年目からレギュラーを獲る。(本塁打は)30本ぐらいで」と宣言し、ビッグマウスぶりが話題になった。1989年の近鉄のドラ1・野茂英雄(新日鉄堺)も「自信がなければ、こういう商売はやっていけない。ある程度の自信はある」とコメントしたように、プロの世界へはばたこうとする若者がでっかい夢や目標を口にするのは、ある意味当然のこと。ドラフト史上、過去にはどんなビッグマウスがいたか、振り返ってみよう。

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 数あるビッグマウスの中で、いの一番に名前が挙がるのが、97年のオリックスのドラ1・川口知哉(平安)だ。

 同年夏の甲子園準V左腕は、「完全試合を達成します!」と発言して以来、“ビッグマウス”と呼ばれるようになった。ドラフトで5球団競合の末、意中のオリックスが交渉権を獲得すると、「僕は投手だから、背番号10番台が欲しい。11がいいですね」とリクエストして、周囲を驚かせた。

 なぜなら、当時オリックスの11番は、通算165勝のベテラン右腕・佐藤義則だった。それを18歳の高校生がいきなり「譲ってほしい」は、あまりにも大胆不敵だった。

 だが、川口は「佐藤さんが着けている?知ってますよ」と事もなげに答え、さらに仮契約の会見でも「(仰木彬監督に会ったら)僕をいつから1軍で使うか、聞いてみたい」の大胆発言が飛び出した。

 契約金も当時の高校生では異例の5千万円のインセンティブを含む総額1億円とビッグ。「5年以内に1軍登録250日」の条件を満たせばOKだったが、在籍7年で1軍登板はわずか9試合に終わった。

「世界一へ成り上がる」というビッグな見出しで話題をさらったのが、03年のヤクルト5巡目、吉田幸央(城郷)だ。

 高3春の県大会で23奪三振を記録した“公立の星”は、ドラフト前にパドレスのテストにも合格。マイナー契約での入団が内定していただけに、ヤクルト入団会見の席でも「絶対に(メジャーに)行きたい。FA獲って行きます!」と力強く宣言した。


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