楽天・松井裕樹(C)朝日新聞社
楽天・松井裕樹(C)朝日新聞社

 平成から令和の時代、プロ野球は完全に投手分業制の流れに移行している。特に今季は、シーズン規定回数到達者がセ・リーグで9人、パ・リーグはわずか6人しかおらず、規定回数をクリアした投手が1人もいないチームがあるほどだ。

 かつてのような先発完投型の絶対的エースは、もはや消えゆく存在になっている。これほどまでにリリーフ投手の存在が重要となった現在だが、その流れが進んだ平成の時代、各チームに存在した絶対的守護神を振り返ってみたい。今回はパ・リーグ編だ。

■西武:豊田清

 平成の30年間でリーグ優勝11回と、パ・リーグでもっとも優勝回数が多い西武だが、長年活躍した絶対的守護神は意外に少ない。そんな中で、21世紀に入って5年間でクローザーを務めたのが豊田清だ。

 入団から6年間は二桁勝利を2度マークするなど、先発として活躍したが、7年目の2001年に守護神だった森慎二が不調で、当時の東尾修監督の説得もあり、開幕早々に抑えに転向して28セーブをマークした。

 本格的に抑えとなった02年には、当時のパ・リーグ新記録となる38セーブを記録し、57試合登板で防御率は0.78と、驚異的な数字でチーム4年ぶりとなるリーグ優勝の原動力となった。03年は8月に抑え転向3年目でNPB史上15人目となる通算100セーブに到達。この年も58試合で2勝3敗38セーブ、防御率1.24の好成績で2年連続の最優秀救援投手に輝いた。

 04年は故障に苦しみ34試合と登板数こそ減ったが、防御率0点台と安定した成績で、リーグ2位から出場した日本シリーズでは3セーブを挙げるなど、チーム12年ぶりの日本一に貢献した。

■ソフトバンク:馬原孝浩

 通算セーブ数やタイトル獲得数、NPB新記録の54セーブなど、記録的にはデニス・サファテが妥当かもしれないが、ここは敢えてチーム生え抜きの馬原孝浩を挙げたい。ちなみにホークスでのセーブ数は、両投手とも180セーブと完全に同数だ。

 プロ2年目の05年、シーズン途中に不調の三瀬幸司に代わってクローザーに抜擢されると、リーグ2位タイの22セーブを記録。開幕から抑えを務めた06年は51試合登板で29セーブ、防御率1.65の好成績を残した。

 150キロ台後半の豪速球を武器に不動の守護神となった07年は、54試合登板で防御率1.47。38セーブで初めて最多セーブのタイトルを獲得した。

 09年には第2回WBCに出場し、5試合に登板してチームの2大会連続優勝に貢献。シーズンでは通算セーブ数の球団新記録を更新するなど、29セーブを記録し、翌年も当時の日本人最速150セーブを達成して32セーブと、いずれもリーグ2位となるセーブ数をマークした。晩年は右肩痛に苦しみ、最後はFA人的補償で移籍となったが、記憶に残るクローザーだった。

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歴史の浅い楽天はこの人しかいない