私の子どもの頃は、自分より弱い人をいじめることを『弱い者いじめ』と言って、みんなから軽蔑された。人をいじめる力があるのなら、そのエネルギーを弱い者いじめをしている強いやつに向けて、いじめを止めさせることに使おう。そのほうが、よほどかっこいいし気分もいい。

 弱い人を助ける優しさを持った人が、本当の意味で強い人だということを忘れないでほしい」

 こんなことを何百回となく講演で子どもたちに言ってきた。

 教室に消火器の泡をまく、座敷に砂を投げる、これらの行為は、確かにむちゃくちゃかもしれない。しかし、どの行為も人間を傷つけてはいない。人を傷つけたり、殺したりすることだけは、何があってもしてはいけない。本当はここのところを、しっかりわかってほしいと思う。

 私も自分の人生を振り返ってみて、三度ほど「死にたい」と思ったことがあった。それはこの悲しみや苦しみが一生続くと思ったとき、人生に絶望したときだった。

 しかし、これは間違いだった。そのつらいことの後に、必ず「やっぱり生きていてよかったなあ」と思えるときがきた。それだから、いまもこのように生きている。

 どんなにつらいことがあっても、その後に必ずいいことがやって来るということだ。「夜が来たら、必ず朝が来る」「ピンチの後にはチャンスが来る」ということだ。それを信じて、「つらいときも粘れ、しのげ。どうしても耐えられなかったら、そのつらいことから、さっさと逃げ出せ。死なずに生きていたら、必ずいいことが回ってくるぞ」と言いたい。

 つらいときが来たとき、私は鳥になって、空から自分を眺めることにしている。

 その私がトンネルに入った。トンネルは必ず通り抜けることができる。いまその一番つらいときに差し掛かっているのを、上から見つめることにしている。長いトンネルもあるけれど、必ず抜け出せると信じている。そうして、いままで生きてきたのだ。