加藤は「会社を辞める」と言った直後に、松本から直接、電話を受けていた。「生意気なこと言ってすいません」と謝罪をしたところ、「お前の気持ちも分かる」と励ましの言葉をかけられた。1人の芸人も辞めることなく吉本を改革したいという松本の思いに胸を打たれ、自分だけが辞めればいいと考えるのは独りよがりではないかと気付いた。そして、エージェント制度を導入することを会社に提案したところ、それが受け入れられることが明らかになったため、加藤は残留を選んだ。

 ここで加藤が話した内容が正しいのなら、マスコミが連日煽ってきた「松本派」と「加藤派」の対立はそもそも存在しなかったということになる。恐らく、当事者である芸人本人にとっては実際にそうだったのだろう。事実に基づかない対立関係が強調されているのを見て、加藤は改めて「マスコミって怖い」と感じたという。

 この点については私も同じことを思っていた。当時、報じられていた芸人同士の派閥や対立関係などというものが、どこまで実態のあるものなのか、個人的にはかなり懐疑的だったのだ。ある芸人が番組内で吉本について批判的なことを言ったからといって、その人が「加藤派」ということになるのだろうか。あるいは、事務所を少しでも擁護した人は「松本派」なのか。はなはだ疑問である。

 そもそも体制派の筆頭であるはずの松本自身が会社に対して批判的なことも口にしているし、松本派と言われていた今田耕司や東野幸治も、テレビの中ではっきりと事務所に対して「悪いところは悪い」というレベルの批判もしている。派閥と言われるようなはっきりしたものが存在しているわけではないのだ。

 加藤は「加藤の乱など存在しなかった」と言いたいようだ。これを私なりに言い換えるなら「加藤の乱は『加藤の変』だったのかもしれない」ということになる。

 歴史用語としての「乱」と「変」の違いについて、確固たる定説はないのだが、1つの説として、政治権力への反乱のうち鎮圧されてしまったものが「乱」と呼ばれ、それが成功した場合には「変」と呼ばれる、というものがある。

 加藤の提案によってエージェント制度が導入されることになったのだから、この動乱は1つの成果を出している。つまり、加藤の乱は「加藤の変」だったと言えるのかもしれないのだ。自身の芸能生命を懸けて挑んだ決死の交渉で加藤が勝ち取ったものが成果と呼べるようなものだったのかどうかは、これから明らかになっていくのだろう。(ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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