――スマートフォンがあって、常にカメラを持っている時代。あえてカメラを買うって、理由が必要です。

後藤:ニコンには待っていてくださる我慢強いお客様が大勢おられます。入手しやすい機材だけではなく、憧れの存在の製品も不可欠です。そんな製品はきっと総量は減るでしょうね、趣味嗜好品ですから。でもそれを満足させるカメラがなければ、ライバルメーカーとの違いがなくなり、存在価値も薄れてしまいます。

――Dfと少し似たような趣味性を追求したオリンパスPEN-F、富士フイルムX-Proシリーズなどもメディアでは手厚く取り上げるし面白いとは思うのですが、実際にはそうたくさんは売れない。そこが謎なのです。

後藤:「安い価格でお買い得」という製品も必要でしょうが、高い価値を持ってさえすれば、高い価格でもよいのではないかと思います。

――後藤さんの代わりになるような、話ができるスポークスマンがニコンからいなくなってしまいます。

後藤:思い出してみますと、もともとニコンという会社は管理が徹底的に行き届いていて、カメラやレンズを黙って差し出す会社なのです。私のように出しゃばる人間はいないタイプの会社でした。いまの若い人はあまり表に出たがらない人もいるようですが、お客さんから直接アドバイスをいただけることも多いので、もっと会いに行けばいいのにと助言しています。

――古い話ですけど、ニューフェース診断室でFが酷評されたときにニコンの若い設計者が編集部に殴り込んできたという逸話がありました。ニコンとアサヒカメラは縁があったし、意見をいう人が多かったのでは。

後藤:いわゆる「青年将校殴り込み」ですね。確かにいま読んでも酷評されています。乗り込んだ設計者は自分の先輩なのですが、自分たちの製品に自信があるのに、それをどうしてあのような評価になるのかじかに話を聞きたい、という積極的で、設計者のあるべき姿だったようです。

――後藤さん、ニコンを去ってしまうわけですけど、Dfの後継機で仮にDf2のような企画はないのですか。

後藤:あまりにも直接的すぎて、それは申し上げられませんね。ただ後藤研究室としていろいろな検討資料を残してありますよ。例えばお客様の声をひもといて、どこをどう改良すればよいかなどと。また多くの方が知っていますが、ファンミーティングではZfという名前で出してくれと製品名まで決められていました。

――後藤さんはこれから外に出てカメラアドバイザーになるのですか?

後藤:さて、どうしましょうか。これからゆっくり考えます。ただこれでニコンときっぱり離れるわけではありません。ニッコールクラブ会員さんを前にしてお話しするイベントが、来月から国内数都市で予定されているくらいです。ニコンとの縁はまだまだ続くでしょう。

(聞き手/赤城耕一)

※アサヒカメラ2019年7月号より抜粋