――そしてついに35ミリ判フルサイズセンサーを搭載したD3が2007年に発売されます。今でも十分に通用しますね。最近のカメラという感じすらするのは自分がトシを食ったからですけど。

後藤:もう12年前の、文字どおりひと昔前ですね。いま見ると少し肌色の再現が黄色いくらいでしょうか。これだけは直したいですね。

――プロ用のフラッグシップ機と銘打っても、実際はアマチュアが主なお客様なので、あまりプロの意見を聞かないほうがいいと思うことがあるんですよ。

後藤:なんで最初からやらなかったのだろう、もっとプロとアマチュアの市場を見て要望を聞かなかったのだろうと思うときがあります。フラッグシップ機はプロに認めてもらうカメラであり、一般の人が憧れるカメラでなければなりません。大きくて重く、しかも高価でも、酷使してもちゃんと撮れる。そしてニコンにとっては必ず売れなければなりません。

■デジタル化以降のフィルムカメラ

――少し話を戻しますが、04年にF6が登場したときも衝撃でした。本当にいま新しいフィルム一眼レフをやるのか?みたいな。あれは後藤さんの企画?

後藤:いや、さすがに私だけではありません。D2Hも同時期でしたし、「これからデジタル時代なのにフィルム一眼レフとはなんだ!」という声もかなりありました。AEやAFに同じデバイスを使ったり、画像以外のデジタル技術をフィードバックしたりして効率を上げてF6を作りました。

――デジタルカメラの技術をフィルムカメラに応用した唯一無二のカメラだとよく原稿で書くんですよ。F6はフィルム一眼レフだから、DXフォーマットのD2Hよりファインダーが大きくて魅力的でした。あたりまえですけど。

後藤:そうですよね。F6はもう15年目、さすがに今では生産数も少ないのですが、工場ではベテランが担当しています。そろそろ最初のニコンFの販売期間15年弱という記録を塗り替えそうです。21年間のF3には及びませんけれど。

――01年に発売されたFM3Aも驚きでした。

後藤:設計課長として参加しました。

――当時Nikonのロゴが斜体になっていることを指摘したら、後藤さんは「大丈夫です。見慣れますから」って。でもDfのNikonのロゴはまっすぐです。

後藤:あれ? そんなこと言いましたっけ? ま、その後のDfで実施しましたのでお許しください。

――ファインダー内表示も指針式でした。

後藤:FM3Aのチームリーダーは私の先代の課長ですが、志の高い人で、完全なハイブリッドシャッターも含めて実現しました。いま考えても面白いじゃないですか。大変好評でしたが、その後さる環境規制が施行されて材料を変えなくてはならなくなり、再設計の採算が合わないと判断して、FM3Aの継続は残念ながら諦めました。

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