大悪投が一転好返球に早変わりする珍プレーが明暗を分けたのが、91年6月26日の阪神vs広島(広島)。

 2点を追う阪神は4回、和田豊、宮内仁一の連続四球で無死一、二塁としたあと、岡田彰布、オマリーの連続タイムリーで同点。なおも一、三塁で、八木裕がライトに飛球を打ち上げた。タッチアップから三塁走者・岡田がスタートを切る。

 直後、本塁タッチアウトを狙った山崎隆造の懸命のバックホームは、左側に大きくそれ、一塁コーチャーズボックスの弘田澄男コーチに当たってしまう。このとき、一塁走者・オマリーはすでにスタートを切っていた。普通なら1点を勝ち越し、なおも1死二塁(または三塁)となっても、おかしくない場面である。

 ところが、阪神にとってはアンラッキーなことに、弘田コーチに当たって跳ね返ったボールは、一、二塁間に転がったため、セカンド・山田和利が一塁方向からダッシュして拾い上げたあと、二塁ベースカバーの野村謙二郎に転送され、オマリーはまさかのタッチアウトに…。自らの体で大悪投を好返球に変えてしまった弘田コーチは「スライダー回転の返球が右腿に当たった……」とバツが悪そうだった。

 まさかのハプニングで、一瞬にして2死無走者となってしまった阪神だったが、9回にオマリーの名誉挽回の一発などで4点を追加して、7対2で快勝。チームの連敗を「7」で止めたのは何よりだった。

「行方はボールに聞いてくれ」と言うよりも、「ミットに聞いてくれ」と表現したくなるような怪事件(?)が起きたのが、95年8月17日の西武vsダイエー(福岡ドーム)。

 1回、ダイエーは1死二塁の先制機に3番・秋山幸二が一ゴロを転がした。

 ファースト・鈴木健は足がもつれて転倒しそうになりながらも、必死で体勢を立て直し、打球を処理しようとした。

 ところが、いざ捕球する段になって、左手にはめていたはずのミットが忽然と消えていることに気づき、目が点になった。よく見ると、ミットはなぜかグラウンドの上に転がっていた。拾い上げてから捕球していたら、当然間に合わない。

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これがホントの“ミットもない”話