韓国では2016年にミソジニー殺人が起きた。ソウル市郊外江南(カンナム)にある男女共用の公衆便所にひそんでいた30代の男が、先に来た6人の男性をやり過ごした後、入ってきた見も知らぬ女性を、「女が自分を相手にしてくれない、女が憎い」という動機で刺し殺したという、悲惨な事件である。当局が変質者による事件として処理しようとしたところを、「ミソジニー殺人」と名付けてフレーミングしたのは、韓国の女性たちである。女だという理由だけで殺される……事件は女性たちを震撼させ、自分の過去の経験を思い出させた。殺人現場はにわかに聖地となり、おびただしい数の女性たちが訪れて、思い思いにポストイットにメッセージを書き込んだ。そこにはこんな文章が書かれている。

「13年前、私もトイレで刃物を持った男に脅かされ、強姦の被害者になったが、死んではいない。ただ運が良かっただけだ」

「わたしは生き延びた、だからわたしは黙らない」

 1週間後予報されていた雨の降る前に、ソウル市長の英断でこれらのポストイットはすべてソウル女性プラザに回収された。その一部は現在でも壁を天井まで埋めて展示されている。プラザでは、そのすべてをアーカイブ化する作業が進んでいると聞いた。

 この事件の前に本書の韓国語版がすでに刊行されていた。江南の事件を「ミソジニー殺人」と定義するのに、本書はいくばくかの貢献があったことだろう。事件は本書の売り上げを加速した。そのためにわたしは読者とのトークの場へ招待されたぐらいだ。日本ではめったにお目にかからない20代、30代の若い女性たちが、食い入るように通訳つきのわたしのスピーチに聴き入った。フェミニストの集まりといえば年配の女性の多い日本を思い起こして、わたしは彼我の違いを感じたものだ。

 本書を大学の授業や読書会のテキストに使ってくれるひとたちは多い。

 中国では、本書を大学の授業の指定文献にしているという女性の研究者に招待されて、上海の復旦大学で講義したことがある。書物に書いたことを講義で繰り返すだけではつまらないと双方向の授業を試みて、「あなたの経験したミソジニーは?」と中国人の男女学生たちに問いかけた。ひとりの女子学生が答えた。

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ミソジニーは歴史や社会や文化によって変化する