「あれはヒドかった。不器用でヘタクソでしたよ」
巨人の丸佳浩をそう酷評する監督がいる。千葉経済大付属高時代の松本吉啓監督の回想だ。「落球するし、暴投もしょっちゅう。丸のエラーで何度も負けましたよ」。だから猛練習させたんですかと訊くと「違うんです。股関節が異常に硬かったから、下半身を鍛えないと野球ができなかったんです」と監督は淡々と話し始めた。
今年3月に監督を引退したばかりの丸の恩師だ。選手としては桜美林高のエースで全国制覇し、指揮官としては無名チームを甲子園ベスト4に押し上げた手腕と頭脳だけに説得力がある。
体幹の弱点を監督から指摘されると、丸は木偶の坊のように走りまくり、休日返上でウェイトトレーニングを続けた。黙々と一心不乱に自主練習を繰り返す丸の姿を見て、監督は仕方なく「試合に出したんです。結果は徐々に表れてきましたけどねえ……」と柔和な目で笑った。
プロのスカウトが時々、ネット裏に来ていたのは知っていた。でも、慧眼の名監督でさえ、この生徒が将来、プロ球団の優勝を担う救世主になるとは、驚天動地の夢物語だったとびっくりしたに違いない。
監督の取材帰り、桑田真澄の2年目を思い出した。クタクタに疲れて寝不足のはずなのに、登板日の翌日には決まって、桑田は炎天下の無人の後楽園の外野を昼前から走り込んだ。174cmの細身には厳しい持久走だ。妙な走り方をするし、ヘトヘトになってもやめない。王貞治監督もトレーナーも「いずれパンクするから放っとけ」と冷ややかだったが、7月のプロ入り初完封からみるみる下半身が安定し始めると周りの視線が変わった。
若手選手が桑田の後についてゾロゾロ走るようになったのだ。ただ、桑田には迷惑だった。「僕の真似はしないで欲しい」と突き放した。「理屈が分からない走りをしても、逆効果だから」。桑田の狙いは、走りながら「股関節周りの筋肉を強化」するトレーニングだったのだ。早晩、ゾロゾロは消滅して、桑田と並走するのはワイン仲間の江川卓だけになった。のちに江川は野村克也から股関節の硬さを指摘される。