2000年12月、景気もかなり回復、金融の再生やIT振興なども軌道に乗ったので辞職させて頂いたが、『平成三十年』の単行本用手直しは予定よりも3年ほど遅れてしまった。

 このため「20年先」の話が「17年先」の話となった。ところが、読み返してみると、経済社会の描写はあまり変更の必要がなかった。予測小説の作家としては上出来だが、経済閣僚としては改革に非力だったといわれるかも知れない。在任中には、金融機関の整理再生や各種規制の緩和、そして大規模リストラと景気回復など、それまでにはないほどの変革を行ったはずだが、ほとんどが予測の範囲内、全体から見れば「盲腸の手術」だった。もっとも私たちがはじめた改革路線が継続すれば世の中を変えただろうが。

 単行本の出版に際して修正加筆したのは、前述の季節合わせで短縮した部分の復活、とりわけ終盤の補強である。

 ところが、それから約2年、今回の文庫版の出版に当たってもう一度、全文を読み返して驚いた。いくつかの誤植訂正のほかは、一字一句変えるべきところがない。あえていえば「郵便公社」というのが平成30年には民営の郵便会社になっているかなという程度で、むしろ「実際の15年先はもっと悪くなっているのでは」と思うところが多い。

 21世紀になってからの日本は、「構造改革」の掛け声とは裏腹に「変わらない国」になってしまった。この小説の上巻の副題「何もしなかった日本」は、一段と現実味を帯びて来たといえるだろう。

 一方、この小説の下巻「天下分け目の改革合戦」は、改革の難しさを描いたものだが、その状況も現実的になっている。「与党」と「中道連合」という表現で示唆した二大政党体制はほぼでき上がったし、「与党内野党」の発生もありそうだ。

 予測小説には、警世の意味がある。「こんなにならないように」と願って書くことが多い。この小説『平成三十年』に描いた経済社会の状況が15年先に的中していたとしても、「改革の合戦」が起こるとも、改革派が勝利するとも限らない。改革派と思われた人々が官僚に取り込まれて、「何もしなかった日本」が続く可能性も強い。ここ2年余りの現実は、その危惧を一段と強めるものであった。

 一体、いつどこから「織田大臣」が現れるのだろうか。それとも、永久に「何もしない日本」が続くのだろうか。

2003年12月 堺屋太一