世の中には、声域が広くてピッチが正確でも、心に響かない歌はある。その一方で、声が掠れていてもリズムが多少ずれていても、心に響く歌もある。

「歌詞に書かれていることをシンガーが本気で思っているか。伝えようとしているか。リスナーのみなさんははちゃんと聴き分けています」

 こうして西川の話を聞いていると、地道な努力をコツコツと重ねていることがわかる。その象徴の1つが、毎年9月に出身地、滋賀県の琵琶湖畔で開催している音楽イベント、「イナズマロックフェス」だろう。第1回は2009年。2018年に10年目を迎え、2019年には西川貴教名義で新たなフェイズに入る。

「イナズマは、実は母親の病気がきっかけで始めたんです。僕に限らず、ミュージシャンって、なかなか自己都合では実家に帰れません。コンサートツアー中に身内に何かが起きても、ステージを中止にするわけにはいきません。だったら、地元で大きなプロジェクトを始めよう、と。そうすれば、イベントの期間は堂々と滋賀に帰ることができますから」

 ミュージシャン、役者、タレント、事務所の経営者、そしてイベンター……。約20年のキャリアの間に、西川はいくつもの顔を持つようになった。

「デビューから20年以上、その前のバンドから数えると30年近いキャリアがあって、今ではみなさんも僕の顔と名前を一致して覚えていてくださっていて、なんでまた新しいことを始めているの? なんで自分から面倒くさいことをしているの? と言われることもあります。でも、これでいいか、と思ったらそこで終わってしまう。一度きりの人生だから、できることはなんでもトライしたい。まだまだ自分を磨きたい。今の自分に満足したくない。そんな気持ちだけでやっています。僕の姿を見て、誰か1人でも、あいつもやっているんだからオレもできるんじゃない? って思ってほしい。僕、MVで風に吹かれたり、水しぶきを浴びたり、吹雪かれたりしてきて、でも、あんなバカなことしているやつも頑張っているんだから、オレももっとできるんじゃない? って思ってほしい。ミュージシャンには、才能に溢れている人がいます。圧倒的な人を何人も見てきました。そういう孤高の存在を僕もイメージしたこともあったけれど、どうやら分不相応でした。じゃあ、僕にできることは何? と自分に問いかけると、リスナーの方々に近い存在でありながら、一生あがき続けるしかない。努力し続けるしかない。そういう存在でいたいですね」(神舘和典)

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神舘和典

神舘和典

1962年東京生まれ。音楽ライター。ジャズ、ロック、Jポップからクラシックまでクラシックまで膨大な数のアーティストをインタビューしてきた。『新書で入門ジャズの鉄板50枚+α』『音楽ライターが、書けなかった話』(以上新潮新書)『25人の偉大なるジャズメンが語る名盤・名言・名演奏』(幻冬舎新書)など著書多数。「文春トークライヴ」(文藝春秋)をはじめ音楽イベントのMCも行う。

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