冷凍即席ラーメンは瞬間的に売れに売れた。「当時は画期的な商品でした。作って神戸などの市場に車で運ぶと、島に戻るまでに次の注文が入るほどの人気ぶりで、製造が追いつかなかったそうです」(井上さん) しかし、チキンラーメンが発売されると、ぴたりと売れなくなった。その後も細々とラーメンを作ったが、インスタントラーメンの開発競争は過熱する一方だった。

 武男は思った。「他のメーカーと同じものを作っても、ライバルは多いし、全国レベルのところもどんどん出てくる。ローカルで優れたものを作らないと」。そこで注目したのは、淡路島の南、鳴門海峡の沿岸で盛んに養殖が行われていたワカメだ。鳴門の渦潮にもまれて育つ肉厚で、風味豊かなワカメを、麺に練り込もうと考えた。

 しかし、これがなかなか難しい。生のワカメをすりつぶしても、麺に練り込めるほど細かくならない。乾燥させたワカメをすりつぶして細かくするのは簡単だが、そうすると白っぽい麺になり、わかめの風味も失われてしまう。つるりとした、弾力のある食感も出せない。井上さんの父、守弘さんも開発に取り組んだが、納得のいくレベルには達せられなかった。

 東京の大学で食品工学を学んだ井上さんも、武男さん、守弘さんの背中を追って挑戦。1998年には明石海峡大橋が開通、島にもコンビニエンスストアが進出し、インターネットが普及するなど、時代の流れとともに井上商店を取り巻く商環境も変化していったが、「わかめ麺には全国で通用する競争力があるはずだ」と開発をあきらめなかった。

 そこには、井上さん自身の苦い経験もあった。大学卒業後、別の食品メーカーに就職して働き、島に戻ってきた。取引先のために高価な設備を入れても、ある日突然、「あんたのところだけちゃうねんで」と取引を打ち切られてしまうこともある。「何か特色や個性のあるもの、とがったものを作らないと会社が残らないだろう」という思いは強くなるばかりだった。

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試行錯誤の末…