2002年、39歳で急逝した消しゴム版画家・ナンシー関。そのコラムは、いまなお多くの人々を魅了している。かつて週刊朝日で連載されたナンシーのコラムが、『ナンシー関の耳大全77』という一冊にまとめられた。もし、このネット時代に存命なら、いま彼女はどんなテーマに取り組んでいただろう? コラムニストの小田嶋隆氏とライターの武田砂鉄氏が語り合う。

※「ナンシー関がウォッチしていた小倉智昭や中山秀征が、いまなお芸能界で活躍できる理由」より続く

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■感覚的断言を論理的にやらかす

小田嶋:コラムを書く人のなかには、着眼点が見事な人と、説明が上手な人がいるんですけど、それって割と両立しないんです。でも、ナンシー関は、その両方を持っている稀有な才能だった。「そんな見方があったのか」という、誰も気づかないポイントを見透かすことができる人であると同時に、それをまたすごく丁寧に説明できる人だった。

武田:雑誌のコラムって、文字数が制限されていますね。ナンシーさんって、立ち去り方がとてもうまいんです。ネットで書く場合、文字数の制限は基本的にありません。読む方もここで終わる必然性を感じなければ、ここで終わりかよ、と突っ込めてしまう。ナンシーさんは、「で、どうなの?」みたいな状況に陥ると、「で、どうなんだろう、私」なんて言い残しながら、立ち去った。付け加えるスペースがないからこそ立ち去れたんです。

小田嶋:カメラワークで、すごく近づいてアップになったかと思ったら、パッとカメラを離して、「なんて私、言ってるけどさ」みたいな、第三者視点にいきなり行ったり。

武田:ナンシーさんの文章を真似る人は、その文体だけを取り急ぎ真似ようとする。でも、それは、小田嶋さんがおっしゃったように、着眼と説明力がかけ合わさってこその技術なわけだから。

小田嶋:ナンシー関という人は、説明がすごく上手だったのみならず、決まった文字数のなかで「こうまとめてこう終わる」みたいなことを、それこそ工芸品みたいなつくり方をしている。まるで、箱根の寄せ木細工みたいですね。

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ナンシーさんの頃とまったく違う点は?