小田嶋:「春はあけぼの」で、清少納言が取り出してみせる「AはBだよね」という話も見事ですよね。いちいち感覚的で、「あ、そういう見方、あったんだ」と。あれこそエッセイですね。自分語りがあったり、身辺雑記があったりして、あまり説明的ではないんだけれど、その書いた人間の感覚と人となりが伝わってくるのがエッセイ。その一方、コラムはもっと対象寄りで、もっと説明的であり、ちょっと論文に近いような書き方になるんだけど、その両方ができるという人もなかなかいないですね。

 ナンシーさんという人は、コラムの達人なんだけど、コラムでありながら、論理やエビデンス一辺倒ではなく、すごく感覚的な、エッセイ的な部分も優れていた。「○○ってこういう気持ち悪さがあるよね」みたいな、隔靴掻痒(そうよう)を指摘する何かを持っていましたね。

■ネットの時代にナンシーはノンポリで通せただろうか?

小田嶋:よい意味でも悪い意味でも、主によい意味ですけど、ナンシーさんは気の小さい人だったかもしれない。だから、エビデンスのない断言はしないんです。思い込みで勝手な中傷をするようなこともしないし、書き方としては、自分は60時間ぐらい、こいつの映像を見ているけど、間違いなくこうだという、エビデンスを積み上げた話以外は書かない。自分がテレビ画面から感受し得たもの以外は絶対に手を出さないという、仕事を限定する潔さがあった。取材範囲を限定し、言及範囲を限定して、なおかつ、確信のないことは断言しない。そんな狭いところで本来、仕事なんかできっこないんですけど、そこでやっていたことの見事さですね。

 原稿を見ればわかるとおり、ナンシーさんは、あまり派手な失敗をしない人です。すばらしい時と、そうでもないかなという時もたまにあるんだけど、そんな時でも、ニヤリとさせるフレーズがひとつかふたつは必ず入っているみたいな、すごく律義なつくり方をしていて、70点以下にはしない。それはすごいことなんだけれど、ちょっと話がずれますけど、たとえば、この間、イニエスタのパスについてね……。

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イニエスタのパスに何が?