――下積み時代は苦労されたんですか?

JunJun:ヘアメイクの大きな現場に呼ばれることはなく、3、4年はそんな日々が続いて、24歳くらいのときに、あるタレントさんと出会うんです。専属ヘアメークとしてやらせてもらっていたそのタレントさんがテレビや雑誌で大きく取り上げられるようになって、そこから僕の仕事も増えていきました。

――いよいとプロとして本格的に仕事をされるようになる。

JunJun:はい。そのタレントさんの仕事を通じて業界に人脈ができて、雑誌やイベントなんかの仕事につながり始めます。タレントさんとの関係や常に人との出会いを大切にしていたので、アパレルのカタログの仕事とか、メークセミナーとか、いろんな仕事をいただけるようになったんです。

――そのころはいわゆる「ギャル雑誌」全盛時代ですね。

JunJun:「BLENDA」や「egg」、「小悪魔ageha」などギャル雑誌が次々に創刊されました。そんな時代だったので、創刊号の表紙を担当させてもらえたりして、運も味方したと思います。「BLENDA」でカリスマ的人気を集めた井出レイコさんが僕のメークを気に入ってくれて雑誌の表紙を担当することにもなり、ヘアメーキャップアーティストとして食べていけるようになりました。

――そうとう忙しかったのでは?

JunJun:めちゃくちゃでしたね。60日間働き続けたり、担当する雑誌を5冊掛け持ちしたり。しだいに競合誌とか、同じ出版社の異なる編集部の仕事が重なるようになって、仕事を選ばざるを得ない状況になったんです。「選ぶ基準は何なのか」、「お金なのか付き合いなのか」。悩み続けましたが、どうしても答えがでないときもあるんです。実はダブルブッキングをしてしまって大変なご迷惑をかけてしまったこともあります。

――聞くだけでも恐ろしい話ですね……。

JunJun:プロとしてあるまじき行為ですよね。本当に申し訳なかったと思っています。それで思い切って方向性を決めることにしたんです。「僕は何がしたいのか」、「どんなヘアメークをしたいのか」。改めて考え直しました。その後は自分の理想や信念にそって仕事を選ぶようにしたんです。案の定、仕事は減って収入も減っていきましたが、「耐えなければいけない」と自分に言い聞かせて、しだいに「フリーランスだからこそ、仕事を常に埋めないでフットワークを軽くしておかなければいけない」と考えられるようになりました。それに、それ以前は仕事を「こなす」だけでクオリティーも低くなっていました。ただ流されるがまま周囲に忙しくしてもらっているだけで、本来の自分を評価してもらったうえでの忙しさではなかったんです。

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SNSを活用するようになったのは…