「選択と集中」は過去20年ほどの経済社会で重視された戦略だった。それが今、北海道のブラックアウトだけでなく、ほころび始めているように思う。

 私が朝日新聞編集委員だったころ、朝日、毎日、読売、産経、日経本紙の5紙で「選択と集中」をキーワードに記事検索をしたことがある。その結果は、1980年代前半は0件、80年代後半、88年8月に日経に1件だけ。90年代前半も14件と少ない。それが90年代後半に300件近くに増え、2000年以降はほぼ毎日どこかの新聞で「選択と集中」が使われる人気ぶりとなった。

 私が経済雑誌の記者をしていた1980年代の半ばから後半にかけて、優秀な先輩記者が「選択と集中」というキーワードを口にしていたことを思い出すが、まだそのころは日経新聞にさえあまり使われていない言葉だった。ところが検索データが示すように90年代後半、つまりバブル崩壊を経て、日本企業が巨額な不良債権の処理やバブル前まで手を広げてきた多角化戦略を見直すために都合よく使われたのが「選択と集中」だった。それを後押ししたのが米ゼネラル・エレクトリック(GE)をエクセレントカンパニーにした経営者ジャック・ウェルチ氏がとった「選択と集中」だった。世界シェア1、2位の事業に集中し、それ以外は撤退するという荒業だった。

 自社の強みを伸ばすために集中投資するという戦略はなるほど分かりやすい。今、競争力を持ち、儲かっている分野に集中するのだからだれからも文句は出ない。株主も大喜びだ。いま掌中にある儲かる事業を伸ばすのは比較的たやすいからだ。しかし、考えてみれば今儲かる事業が10年後も儲かる事業かどうかは分からない。技術発展のスピードが目まぐるしい時代になればなおさらだ。

 自動車業界で言えば「100年に一度の大変革期」と呼ばれる時代を迎え、エネルギー分野でも欧州を中心に再生可能エネルギーへの大きなシフトが進んでいる時代である。どんな技術や会社が生き残るか分からない時代に、これまでの勝ちパターンに集中し、投資するという戦略が正しいとはもはや言えないのではないかと考えるのが健全な姿勢というものだ。

「インダストリー4.0」の時代と言われるようになって、グーグルなどのサイバー企業は威勢がいい。一方、「日本のモノづくりは大丈夫か」「モノづくりから脱皮してサイバー企業に進化すべきではないか」などと経営者やアナリストと言われる人たちが指摘する。私はこれもまたおかしなことだと思う。

「インダストリー4.0」はサイバーとフィジカル(現実のモノづくり)との連携でこそ成り立つ産業である。自動運転と言っても、サイバー空間だけの技術開発で完成するものではない。コンピューターサイエンスを駆使して得た情報を活用し、信頼感のある実際に走るクルマを安定的に生産しないと産業としては成り立たない。何か一つの技術だけで産業が成り立つはずはない。つまり今後、必要な技術やノウハウはこれまで以上に多様なものになると考えるべきなのだ。

 何が起こるか分からない時代に「選択と集中」は危険な戦略と言えるだろう。これまで以上に様々な技術の可能性を見極め、幅広に手を打っておかねばならない時代である。ここで書いているような見立てを、最近社長に就任したあるIT系企業経営者に話したら「就任あいさつで『選択と集中』を進める、って話してしまった」と苦笑いをしていた。

「選択と集中」という呪縛から日本の経営者はそろそろ解き放たれなければ、次の時代を切り開くことはできないのではなかろうか。(Gemba Lab代表 安井孝之)

著者プロフィールを見る
安井孝之

安井孝之

1957年生まれ。日経ビジネス記者を経て88年朝日新聞社に入社。東京、大阪の経済部で経済記事を書き、2005年に企業経営・経済政策担当の編集委員。17年に朝日新聞社を退職、Gemba Lab株式会社を設立。著書に『これからの優良企業』(PHP研究所)などがある。

安井孝之の記事一覧はこちら