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それは「二代目・山野愛子」襲名に始まった…ロス生まれのジェーンが組織のトップに立つまで

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近藤美樹子dot.
山野愛子ジェーンさん(撮影/今村拓馬)

山野愛子ジェーンさん(撮影/今村拓馬)

 それは、「二代目・山野愛子」の襲名に始まる。

「二代目になることを告げられたのは、私が18歳のとき。12歳でロサンゼルスから家族と一緒に日本に来て、アメリカンスクールに通い、まだ挨拶程度の日本語しかできずにいた時期でした。二代目・山野愛子という意味もわからないまま、それでも彼女の直系の孫である私にとって、選択肢は他にはなかったんです」

 そう明かすのは、山野学苑の理事長に加え、山野美容専門学校校長、山野美容芸術短期大学学長、国際美容協会理事長、山野流着装宗家という肩書きを持つ山野愛子ジェーンさん。あたたかな「ジェーン・スマイル」が魅力だが、組織のトップとしての重責も担い続けている。

 初代・山野愛子は明治42年に東京に生まれ、1934年に美容師講習所を開設して以来、86歳で他界するまで日本の美容界を牽引し続けた美容家だ。1961年にはヤマノ・ビューティカレッジをロサンゼルスに開校。さらに1992年に山野美容芸術短期大学を開校し、現在のヤマノグループの基盤をつくり上げた。そんな偉大なる初代を後継することは、ロサンゼルス生まれのジェーンさんにとっては厳しい決断だったに違いない。

 アメリカンスクールを卒業後、早速、修業生活がスタート。昼間は大学、夜間は美容専門学校で学び、土日は初代の講演やショーに同行する。

「行く先々で祖母の存在感の大きさと、美容を取り巻く業界の幅広さに驚かされました。やらなくてはならないこと、できなくてはならないことの多さに焦りを感じながら、明日のことだけを考えて頑張っていた。そんな生活でしたね」

■美道とジェロントロジー

 現在、美容界のリーダーの一人として活躍するジェーンさんは、山野学苑の経営者であると同時に、美容師を育てる教育者でもある。伝えたいことの根底にあるのは、初代が求めてやまなかった「美道」だ。「美道」とは、「髪・顔・装い・精神美・健康美」のトータルビューティをめざすというもの。

「髪は髪、化粧は化粧とバラバラに考えるのではなく、髪・顔・装いをトータルに考え、そこに活力に満ちた健康美を生むこと、そして内面の美しさという精神美を引き出すお手伝いをする。それは、お客さまが『いかに自分らしく輝いて生きるか』ということを思ってくださるよう、美道を通してお手伝いをすることでもあります。そうした考えを持ち、活動できる美容師を一人でも多く輩出することが私の夢、いや使命です」


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