山口蛍 (c)朝日新聞社
山口蛍 (c)朝日新聞社

 日本代表とU-21日本代表を兼務し始めた森保一監督にとって最初の国際大会となった2018年アジア大会は準優勝という結果に終わった。ただ、ソン・フンミン(トットナム/イングランド)らをオーバーエイジで加えて本気でタイトルを獲りにきた韓国との決勝で、J2勢や大学生を軸とした若きジャパンが善戦したことは、今後に大きな希望を感じさせた。

 8年前の2010年アジア大会(中国・広州)で頂点に立った当時のU-21日本代表もメンバー的には決して恵まれていなかった。同大会は2012年ロンドン五輪への第一歩と位置付けられたのにもかかわらず、Jリーグが佳境を迎えた10月から11月にかけての開催ということで、多くのクラブが主要選手を出さなかった。結果的に招集できたのは、クラブであまり出番を得られていなかった山口蛍(セレッソ大阪)や東慶悟(FC東京)らJリーグの若手と、永井謙佑(FC東京)や山村和也(C大阪)ら当時大学生だった7人。正直、下馬評は低かった。

 しかしながら、関塚隆監督(現・日本サッカー協会技術委員長)が率いたこのチームは、初戦でホスト国・中国を3-0で撃破し、勢いに乗ってトントン拍子で優勝までたどり着いた。その時の主軸だった山口や永井に、清武弘嗣(C大阪)や酒井宏樹(マルセイユ)らが加わる形で五輪本大会まで勝ち上がり、ロンドンで4位という日本史上2番目の好成績を残すことに成功したのだ。

 そして2年後の2014年ブラジルワールドカップにはロンドン五輪代表から6人が滑り込んだ(オーバーエイジの吉田麻也/サウサンプトンを除く)。ただ、この時は本田圭佑(メルボルン/オーストラリア)、岡崎慎司(レスター/イングランド)ら2008年北京五輪世代がピークを迎えていたため、大半の選手が出番を得られなかった。

 だからこそ、キャリアのピークと言われる20代後半に差し掛かった今回の2018年ロシアワールドカップは「ロンドン組の集大成」になるはずだった。ところが、代表23人に名を連ねたのは、酒井宏、酒井高徳(ハンブルガーSV/ドイツ)、山口、宇佐美貴史(デュッセルドルフ/ドイツ)の4人だけ。内田篤人(鹿島)の長期負傷と、自身の劇的な成長によって酒井宏だけは大舞台でフル稼働できたものの、他の3人は控えに甘んじた。

次のページ
ロンドン五輪組の悲哀