とりわけ酒井高は、6月28日のポーランド戦で本職とはかけ離れた右MFで起用される不完全燃焼だった。「4年後も同じ立場で過ごすことは考えられない」と本人は7月2日のベルギー戦後に代表引退を表明する。山口もこの試合の終了間際のカウンターの場面でケヴィン・デブルイネ(マンチェスター・シティ/イングランド)を止められなかったことで“戦犯”扱いされ、大きな失望感を味わっている。

 ロンドン五輪落選組の大迫勇也(ブレーメン/ドイツ)や原口元気(ハノーバー/ドイツ)、柴崎岳(ヘタフェ/スペイン)はロシアで存在価値を示したものの、五輪経験者は思ったように輝けなかった。これほど五輪とワールドカップが直結しなかった世代は、過去を振り返ってもロンドン組が初めてと言ってもいいかもしれない。

「俺らの代は(本田)圭佑君たち1つ上の北京世代のメンバーと、その上のハセさん(長谷部誠/フランクフルト)を引き下ろせなかった。それだけ彼らがすごかったということ」と山口も神妙な面持ちで語っていたが、ロンドン五輪組の停滞が日本代表の世代交代の遅れの一因になったと見ることもできるだろう。同世代の司令塔として君臨するはずだった清武も「蛍が言うように、僕たちは代表のレギュラーを取れなかった。ロンドン組で試合に出たのは宏樹だけで、僕自身も代表に入れず、真司(香川/ドルトムント)君のポジションを奪えなかった。ロシアの後、高徳を交えて食事に行きましたけど、高徳が『代表はもういい』と言った気持ちもすごくよく分かる」と悔しさをにじませていた。

 1989年から92年生まれのロンドン世代は4年後には29歳から33歳。今回の本田や岡崎らとほぼ同じ立ち位置になる。そこまで生き残っていくのはそう簡単なことではない。ロンドン落選組ながらロシアで大活躍した大迫、原口、柴崎も、森保体制A代表初陣の9月2連戦(7日・チリ戦/札幌、11日・コスタリカ戦/大阪)は招集外。4年後が保証されているわけではないのだ。

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指揮官は「世代交代」と「世代間の融合」をテーマに掲げる