あれから3年が経ちましたが、毎年、夏休み明けの新学期が始まるころは無意識に学校のことを考えます。

 冬休みや春休みも同じです。

 中学1年生からは学校へ行ってない人が集まる教育支援センターにも通い始め、自分の居場所ができました。学校とはすこし距離を置き、いろいろな人とお話をしたり、遊んだり、安心してすごせてはいます。

 でも、新学期に近づくにつれて不安になりました。もしかしたらまた「学校へ行きなさい」と言われるのではないかと思っていたからです。

 いまは以前のような不安はありません。母も私のことを理解してくれています。もしも私が中学1年生の私に出会えたら、ぜひ「自分の空間を大事にしてほしい」と伝えたいと思います。

 自分の空間というのは、自分がやりたいことができたり、みんなと楽しくすごせたりする空間ではありません。私にとっては本を読む時間、本を手に持つと自分の空間に入れました。

 自分のまわりの環境がどんなときでも本があれば嫌な感情、人の話し声……、すべてをシャットアウトすることができます。家のリビングにいても、教育支援センターにいても、本を読んでいる時間はちゃんと自分のことが大切にできる。そういう自分の空間があれば、それが安全基地になって、自分が否定されても耐えられます。

 もしもまわりに私と同じような人がいたら、「学校」という1つの場所が全てではないこと、またどんな時でも見方で自分を守ってくれるような、その人の自分の空間を大切にしてほしいと思っています。

かすみ(仮名、15歳・女性)

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 この手記は、当事者の心の内側、それも一番、言葉になりづらい部分を明確に示してくれた手記でした。

 学校で苦しいことがあった子どもが、一番、言葉にできないのは「学校へ行きたくない」という一言です。

 SOSは出しづらいんです。とくに追い詰められ、苦しんでいる子どもほどSOSを発するのは難しくなります。それは、不登校の子どもだけでなく、大人も同じです。

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なぜ「学校に行きたくない」と言えないのか