そして直感的に思ったのはぼろぼろの汚らしい男をハイテンションでやりてぇ?!でした。ぼくにとってのヒーローは堕ちてこそヒーローだという思いがあったし、頂点に達したあとは堕ちてゆくそれこそがドラマだと思いましたから。『秀吉』では堕ちてゆくまでは描かれませんでしたが、その分『軍師官兵衛』で再び 秀吉を演る事になってそのイメージには少しでも近づけたのではないかと思っています」

 視聴率は当初の予想を大きく上回った。平均視聴率30.5%、最高視聴率は37.4%と、歴代の大河ドラマの中でも上位に位置する高視聴率を記録した。そんなヒット作に主演した竹中さんにはどんな思い出があるのだろうか。

「思い出はたくさんあるので切りがありませんが、しいて言うなら僕の“いちもつ”がふんどし脇からポロッと出た事です。ナイトシーンのロングショットだったのですがモニターをみんなでチェックしたとき、“あっ! ふんどし脇から出てる!”となりました。でも誰もそんなとこまで見てないだろう…という判断だったのです。が…見る人は見ていたんですね」

 今ではそれが、「秀吉」を語る上での最大ポイントであるかのようなレアな話題になっているのだが。

「あとは大河ドラマは撮影期間が長いのでスタッフ・キャスト共、あるチームワークが出来上がっていて、後から参加してくる俳優さんたちはその出来上がった空気の中に入っていかなきゃならない…大変だったろうな…という事です」

「秀吉」は、“壮大な夢を抱き続けた秀吉を作り上げることで視聴者に夢を与えたい”と願ったプロデューサーの西村と“愛すべきヒーロー”を熱演した竹中の見事なコンビネーションによって、記録的な視聴率を生んだ“大河ドラマ中興の祖”になった。(植草信和)

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植草信和

植草信和

植草信和(うえくさ・のぶかず)/1949年、千葉県市川市生まれ。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。

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