天正15年(1587年)北野大茶湯を主管するなど、秀吉の重い信任を受け、高禄を支給されるなど重用されたが、庇護者でもあった秀吉の異父弟大和大納言秀長の没後は関白と不和になり、堺に蟄居を命じられたのちに京都に呼び戻されて聚楽屋敷内で切腹を命じられる。享年70。大徳寺山門に自らの像を飾らせたためとも安価な道具を鑑定して高値をつけて売ったからとも、既婚の娘を秀吉の側室に差し出すように要求されて断ったためともいわれるが真相は分からない。

 今回、編集部から千利休の病気について原稿依頼を受けた。最初に調べたのが当時の名医曲直瀬玄朔が残した診療録「医学天正記」である。これには正親町天皇、後陽成天皇、徳川家康、毛利輝元から蒲生氏郷、豊臣秀頼、淀の方など同時代の著名人の詳細な病歴や処方が記載されているが、千利休の記録はない。もちろん風邪や胃腸炎などのminor diseasesにはかかったはずだが、当時の大国手を煩わせるような大病はしていないようである。

 千利休の健康に関する現代の医学論文も調べた限り、久留米大学精神科の故王丸勇教授の1本を見るのみである。この論文の結論は鶴松を亡くして反応性うつ病になった豊臣秀吉が脳動脈硬化で思考の柔軟性を失った千利休と意見が対立し、死を与えたとしている(日本病跡学雑誌30 1985)。

 しかし、70歳という当時ではかなり高齢になりながら、利休は死の直前まで高弟たちに適切な指導を行い、また奥州在陣の細川家の家老松井康之に政治と軍事に関する長文の手紙を送っている。最後の年である天正19年正月には13日と26日に秀吉を招いて茶会をひらき、賜死の1カ月前には大老・徳川家康を主客とした茶会を催すなど活動に変化はみられない。

 ただ、正月の茶会ではあえて、秀吉の嫌った黒楽の茶碗で茶をたてるなど天下の権力者に真っ向から勝負を挑んでいる。「茶・禅一味」にも無限の宇宙にも通じる黒の茶碗は抹茶の若草色(この時代になって、茶葉の栽培と石臼により可能となった)が生えて、利休の理想とした侘茶の茶席・茶室に一条の光明をもたらすが、これは秀吉の好んだ金の茶室とは対極にある。

 作家の野上八重子は秀吉と利休の関係を、古代ローマの暴君ネロとその近臣で「趣味の審判者(elegantiae arbiter)」であったペトロニウスに例えている。

 趣味の不一致から主君の不興を買って、自殺を強いられたペトロニウスの遺言は「陛下、殺人や放火をされるのは勝手ですが、詩や音楽には二度と手を出されないことを忠告します」というものだった。利休の辞世「人生七十 力囲希咄(じんせいしちじゅう りきいきとつ) 吾這寶剣 祖佛共殺(わがこのほうけん そぶつともにころす) 堤る我得具足の一太刀 (ひっさぐる わがえぐそくのひとたち) 今此時ぞ天に抛(いまこのときぞ てんになげうつ)」と、同じく時の絶対権力者に趣味の美意識は譲らないという気概が感じられる。おそらく、ペトロニウスも利休も、他人に強制されず、自らが課したプリンシプルに忠実に生きることに最大の価値を置いていたのではあるまいか。

 ネロは程なく元老院にも市民にも見放され親衛隊の反乱で自死に追い込まれるが、秀吉は天寿を全うする。しかし、利休没後、伏見城の建築指示で、京都所司代・前田玄以に「ふしみのふしんの事、りきうにこのませて、ねんごろに申つけたく候」と書き送っており、利休の趣味から逃れることはできなかった。

 田中秀隆は『近代茶道の歴史社会学(思文閣出版 2007)』で、日本の「茶の湯」という哲学あるいは美意識を作ったのは16世紀の千利休と20世紀の岡倉天心であり、この二人の天才が社会にパラダイムを投げかけることで今日の「茶道」が形成されたとしている。

 私事ながら、筆者は幼少より家庭で茶事に親しんできたが、「作法や道具など些細なことに拘泥するのは本来のお茶の心ではなくて、客(あるいは亭主)を思いやって美しいものを共有することが大事」と言っていた亡き母の言葉が耳に残っている。母やお茶友だちはもちろん利休や天心に面識もなければ「茶の本」も読んでいなかったと思うが、そういった美意識は何らかの形で伝わっていたのだろう。

◯早川智(はやかわ・さとし)
1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など

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早川智

早川智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に戦国武将を診る(朝日新聞出版)など

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